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《V6結成》が“予定調和のスポーツ中継”を変えた? 1995年バレーW杯のウラ話「ジャニーさんが、誰がいいと思う?って」 

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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posted2021/11/01 11:00

《V6結成》が“予定調和のスポーツ中継”を変えた? 1995年バレーW杯のウラ話「ジャニーさんが、誰がいいと思う?って」<Number Web> photograph by KYODO

1995年ワールドカップでアタックを決める中垣内祐一(前・男子代表監督)。大会サポーターにV6を起用することで、バレーボールへの関心を高めた

 松野氏は当時のエピソードで忘れられない思い出があるという。前社長であるジャニー喜多川氏を訪問した先のテーブルには、20〜30枚ものスナップ写真が置かれていた。

「ジャニーさんが『松野くん、誰がいいと思う?』って。それぞれに対して、この子は歌が上手い、ダンスが上手い、この子も笑顔がいいなぁとか、説明してくれるんですけど、僕からすればみんな同じにしか見えないわけですよ(笑)。ジャニーさんのキラキラした目が忘れらないんですよね」

 そうして結成されたV6。「V」にはさまざまな意味が含まれているが、Volleyballの頭文字であることはよく知られている話。「6」もバレーボールの人数から由来すると言われている。

 大会の顔が決まれば、次は演出でどう見せるか。当初は「自分たちもバレーボールをやらされると思っていた」というV6を試合前のコートで歌わせるのはもちろん、試合中継時のカメラの画角や実況にもこだわった。松野氏は「予定調和のスポーツ中継はやりたくなかった」と、既成概念をぶち壊す想定外のスポーツ中継となるためのアイディアを生み出し、次々実現してみせた。

DJをクレーンに乗せ、V6はフル稼働

 たとえば、バレーボールのみならず、現在では多くの競技現場で見られる会場MCを導入したのも同大会が初めて。バラエティー番組やラジオで人気を誇ったDJの赤坂泰彦氏を抜てきし、会場での実況を入れることで臨場感を高めた。しかも、ただスタンド席に座らせるのではなく、大型クレーンに赤坂氏とカメラ乗せて上からコートを撮影。従来とは違う角度からコートを映す試みで、これも視聴者の目をとめる狙いの1つだった。

 当時はまだLEDではなく水銀灯だった会場照明も、試合開始までの時間を逆算し、暗転するタイミングを計り、選手の安全、試合進行を妨げない演出を実現。さらにテレビ中継時はF1で実績を積んだフジテレビの三宅正治氏を中心に3名のアナウンサーを厳選するなど、F1で培った知恵と手腕を発揮して、従来のバレーボール中継とは大きくことなる舞台を演出した。

 加えて、大会が始まる前からV6をフル稼働させた。

 現在のジャニーズJr.とは異なり、バックダンサーとしての活動がメインだったデビュー前の6人はスケジュールにも余裕があった。そこで大会を盛り上げるための告知番組として、『Vの炎』と題したオリジナルドラマを製作。メンバー6人が高校バレーボール部員に扮し、廃部寸前から勝利を目指す過程を、実際に合宿しながら撮影した。主題歌にはデビュー曲で、ワールドカップのテーマソングにもなった『MUSIC FOR THE PEOPLE』が使われ、大会前からV6とバレーボールのつながりをアピール。

 さらに今では考えられない驚きの起用なのが、日本バレーボール協会元会長で協会名誉顧問、ワールドカップの日本開催を招致した立役者でもある松平康隆氏が学校の校長先生役で出演したこと。

「松平さんは本当に先進的で、クリエイターでしたね。常に『新しいことをやらなきゃダメだ』と言っていましたから。全面的に協力していただいたおかげで、バレーボールに関して素人の僕も、伸び伸びとやらせてもらいました」

 大会前からのPRや斬新な演出の効果も相まって、来場者は日に日に増え、日本代表の好成績も重なり、大会中盤を迎える頃にはチケットも完売した。

 ところが、予期せぬ事態が起きた。

【次ページ】 V6を見て帰路につく観客たち……

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V6
坂本昌行
長野博
井ノ原快彦
三宅健
森田剛
岡田准一
松野博文
松平康隆
三宅正治
古舘伊知郎

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