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「今年もこの2頭か…」からの衝撃 “絶対王者”テイエムオペラオーを“21世紀最初の天皇賞・秋”で破ったのは〈二刀流の新星〉だった
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph bySankei Shinbun
posted2021/10/29 06:00
テイエムオペラオー(右)の“天皇賞4連覇”がかかっていた2001年の天皇賞・秋。抜け出した“世紀末覇王”を差し切ったのは、4番人気のアグネスデジタルだった。
ところが、である。ローテーションの見直しを余儀なくされたクロフネは、天皇賞・秋の前日、東京ダート1600mで行われた武蔵野ステークスを、最後は流しながら、芝のマイルかと思うような1分33秒3というレコードで圧勝。つづくジャパンカップダートも7馬身差で制し、ダートではワールドクラスの強さであることを見せつけた。
その瞬間、クロフネもアグネスデジタル同様、芝・ダートの「二刀流王者」となった。
“20世紀最後の王者”の退き際
日本初の二刀流王者は芝・ダート両方のJRA・GIを最初に制したクロフネとされているが、アグネスデジタルも、前述したように南部杯を制している(翌年のフェブラリーステークスも勝っている)。「1997年のダートグレード制導入以降の二刀流王者」と定義すれば南部杯もカウントされてアグネスデジタルが初代王者となるのだが、2代目になったからといって、この馬の功績が色あせるわけではない。
アグネスデジタルとクロフネという2頭の二刀流王者は、その蹄跡が交錯しかけたがゆえに「ウイン・ウイン」の結果を出すことができた。
その一方で、テイエムオペラオーは次走のジャパンカップで3歳馬ジャングルポケットの2着に惜敗し、ラストランとなった有馬記念では、これも3歳のマンハッタンカフェの5着に敗れた。メイショウドトウはジャパンカップ5着、有馬記念4着と、こちらも「最強世代」と言われた3歳馬の後塵を拝した。
古豪の引退はいつも寂しいが、テイエムオペラオーの圧倒的な存在感は、私たちの記憶からも、日本の競馬史からも失われることはない。
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