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「藤井さんの対局は特に見ていますが…」 羽生善治との竜王戦で見せた豊島将之の温かさと《名人経験者が戦慄した“豊島の鏡”》とは
text by
大川慎太郎Shintaro Okawa
photograph by日本将棋連盟
posted2021/10/30 06:00
第34期竜王戦第2局の豊島将之竜王。藤井聡太三冠に対してどのような戦いを見せるか
豊島が今シリーズで唯一の敗北を喫した第2局のことである。
豊島が負けを認め、報道陣を対局室で待つ間、信じ難い光景を見た。羽生は対局中、勝勢になると精神的な動揺で右手が大きく震えるのだが、それが終局後も止まらない。持っていた扇子に小さな紙の輪をかけようとしたが、何度やってもうまくいかない。1分ほど格闘し、ようやく扇子に封をすることができたのは報道陣がなだれ込んでくる直前だった。右手が大きく震え続ける羽生の震えについては「あったかもしれない」という程度の記憶でしかなかった。勝負が終わっても、豊島は格闘していた。
「危機感というか、苦しくなってきている」
竜王は羽生に渡さなかった。ついに宿願の初防衛を果たしたのである。
シリーズ決着直後の共同記者会見で、今後の目標について問うた。4度目にして壁を越えた男はこれから何を目指すのかと。すると豊島は明瞭な口調で発した。
「他のタイトルホルダーと対局をしたり、その方の棋譜を見たりして、危機感というか、だんだん苦しくなってきている気持ちもある。そういう方とも互角に戦えるようにやっていきたい」
もう1問聞くつもりだったが、あまりに意外な言葉に質問を続けられなかった。それにしても、少しばかり弱気すぎやしないだろうか。たったいま、竜王位に2度目の名を刻んだばかりではないか。自信につながらない程度の勝負だったのか。
そんなことはないはずだ。結果的にスコアは3勝差がついたが、楽な将棋は一局たりともなかった。たゆたう命運の針はどちら側に傾いてもおかしくはなかったのだ。
あらためて豊島に先の発言の真意を尋ねたところ、言葉は少し変えつつも、やはり同じ意味のことを淡々と話した。
昨夏に名人戦で敗れた渡辺明、鮮烈な二冠制覇を成し遂げた藤井聡太、そして叡王戦で死闘を繰り広げた永瀬拓矢という3人のタイトルホルダーとの実力差が少しずつ離れている感覚があるからだという。
「自分には指せない、という手が多いんです」
2020年4月から12月、その3人との対戦成績は10勝10敗。指し分けなら問題なさそうだが、「内容では押されている」と豊島ははっきりと口にした。
藤井との対戦成績は6戦全勝と、若き天才の前に立ちはだかっている。しかもそのうちの2勝は、藤井が二冠に輝いた後だ。しかし「藤井さんの対局は特によく見ていますが、これは自分には指せない、という手が多いんです」と表情を崩さない。
初防衛への喜びはないのか。これまで散々、苦い思いをしたはずだが。
「初タイトル獲得のほうが苦労しました。タイトル戦に初めて出てから奪取までに7年もかかりましたから。特に2012年~'13年頃は実力が上がっている感覚がないのがつらかった。近年は防衛に失敗していたけど、ほかのタイトルは取れましたから」