Sports Graphic Number MoreBACK NUMBER
「藤井さんの対局は特に見ていますが…」 羽生善治との竜王戦で見せた豊島将之の温かさと《名人経験者が戦慄した“豊島の鏡”》とは
posted2021/10/30 06:00
text by
大川慎太郎Shintaro Okawa
photograph by
日本将棋連盟
竜王にも、名人の座にも就いた。それでも、この言葉が付きまとった。「タイトルを防してこそ一人前」。誰もが認める実力者でありながら、なぜか防衛戦では、3度続けて苦杯を嘗めた。4度目こそは――。対峙したのは羽生善治。心技体がぶつかり合った5局の激闘の末、レジェンドの挑戦を撥ね除けた彼が、胸に抱いた思いとは。
◆ ◆ ◆
将棋界に8つあるタイトルのうち最も序列が高いのは、4400万円という最高の優勝賞金額を誇る竜王戦だ。
その頂点にいるのが豊島将之である。2019年、竜王位に初めて就き、昨年は叡王も奪取して二冠を保持している。堂々の第一人者だが、その豊島でも成し遂げていないことがあった。
タイトルの防衛だ。
将棋界には「タイトルを防衛して一人前」というフレーズがある。挑戦者は失うものがなくて気楽な面もあるが、冠位者はそうはいかない。負ければタイトルを奪われて大きな傷を負う。また挑戦者は勝ち上がった勢いのまま向かってくるが、待ち構える側はその重圧を撥ねのけながら戦わなくてはならないので、調整も簡単ではない。それだけ防衛の価値は高く、これを成し遂げて初めて周囲を納得させ、真のタイトルホルダーだと認めさせることができるのだ。
竜王戦、挑戦者は50歳の羽生だった
豊島が初めてタイトルを獲得したのは2018年の棋聖戦。羽生善治からもぎ取って世代交代の走りとなったが、翌年に渡辺明に敗れた。次のタイトル獲得は同年の王位戦。菅井竜也に勝って二冠に輝くも、翌年に木村一基に屈した。終局直後のインタビューでは、初タイトル獲得最年長記録を更新した木村の男泣きを眼前で見ることになった。
それでも豊島は歩みを止めなかった。2019年には名人を奪取。年末に獲得した竜王位と合わせて「ビッグ2」を手中に収めたが、昨夏の名人戦で、またしても渡辺明の前に涙を呑んだ。
3度続けて防衛に失敗していた豊島に対して、周囲はかまびすしかった。4度目は昨秋の竜王戦。今度こそ失敗は許されないが、挑戦してきたのは50歳の羽生善治。
2年ぶりに番勝負の舞台を踏むレジェンドが、タイトル通算獲得100期を目指して牙をむいてきた。
開幕局は双方の玉が一度も動くことなく
波乱の開幕戦だった。
豊島が「超急戦」を仕掛け、羽生陣に襲い掛かる。竜王のか細い指から放たれた桂馬は、しなやかに躍動した。
対局場は「セルリアンタワー能楽堂」。時間を限定して観戦者を入れる公開対局だった。前傾姿勢で盤上没我の豊島。「静かでした」と述懐したように、集中しすぎて観衆の存在を忘れる瞬間がしばしばあった。