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「人生には自分が最優先ではないフェーズもある」流産を経験した元日本代表選手に聞く“女性ラガーマンの生き方”
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph byHIROSAKI SAKURA OVALS
posted2021/10/21 11:04
リオ五輪の女子7人制ラグビーを戦った中嶋亜弥さんに聞く“女性アスリートのキャリア設計問題”
「学生も多いので毎回関東に通うのは難しいとはいえ、関東の大会に出場しない限りは東北にはミニ国体くらいしか試合がない。東北にいながらプレーできる環境を作らないと裾野は広がらないと感じています」
中嶋は今秋、お隣の岩手、秋田両県のチームを加えた北東北女子ラグビー交流大会の創設を目指していたが、この構想もコロナで頓挫した。理想と現実がマッチしないほろ苦さを抱えながらも、地方に来たからこそ知った新たなラグビーの楽しみ方もある。半世紀以上、津軽地方で愛されてきた雪上ラグビーだ。
下半身が埋まるほどの豪雪地帯ならではのラグビーの形。毎冬開催される「津軽雪上ラグビー大会」は芝生上でのプレー以上に熱戦が繰り広げられる。「すごく楽しいし、ラグビーを楽しむ工夫の余地はいっぱいあると思いました」と中嶋は目を輝かせる。勝敗を競う部と愛好者の部に分けられる大会は、中嶋が見たかつての女子ラグビーの在り方にもマッチする。ラグビーが根付く土壌は案外、眠っているのかもしれない。
「FOR RUGBY」から「WITH RUGBY」へ
非凡な経歴や活動が評価され、最近は講演会に呼ばれる機会も増えている。そこでよく口にするのが、「FOR RUGBY」から「WITH RUGBY」への転換という言葉。ラグビーのために生きる一色の人生ではなく、ラグビーを使って自身の人生を彩り豊かに染めていく。それをまさに体現してきた自身の活動や考えを発信し、ラグビーに長く関わり合う女性が増えてほしいと願っている。
「私達はラグビーを発展させるための駒ではないし、ラグビーの道具でもない。一人ひとりがラグビーと向き合う中で良い関係を築いていけば、ずっとラグビーを好きでいられると思うんです」
弘前公園の桜は江戸時代、津軽藩士が京の都から苗を持ち帰ったのが始まりとされる。中嶋の青森での挑戦は始まったばかり。京都ゆかりのサクラ戦士が青森で蒔く楕円球のタネも、いつか花開く日が来るに違いない。(前編から続く)