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「人生には自分が最優先ではないフェーズもある」流産を経験した元日本代表選手に聞く“女性ラガーマンの生き方”
posted2021/10/21 11:04
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph by
HIROSAKI SAKURA OVALS
京都大学を卒業後、出版社勤務と並行して22歳でラグビーに出会った五輪ラグビーセブンズ女子元代表、中嶋(旧姓・竹内)亜弥は今、青森県弘前市の新興チーム「弘前サクラオーバルズ」で新たな挑戦のさなかにいる。
リオデジャネイロ五輪は、スポーツ界で女子ラグビーの立ち位置を引き上げる起爆剤となったのは間違いない。ただ、加速度的に強化が進むその影で、ラグビーを趣味で楽しみたい女性たちの受け皿は減り、二極化が進んだ。中嶋はそこに自身がトライすべき課題を見出した。
中嶋が考える出産や育児を経た女性アスリートの競技との付き合い方や、弘前での活動、そして思い描く楕円球の未来像を語ってもらった(全2回の2回目/#1から続く)。
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桜の三大名所に数えられる青森県弘前市。市中心部の弘前公園には毎年、2600本もの桜が色鮮やかに咲き誇り、雪解けの津軽地方に春を告げる。
リオ五輪のサクラ戦士が弘前に降り立ったのは雪も溶け切らない2019年3月。桜の蕾がぷっくりと芽吹き出したころだった。「どの桜が最初に咲くかな」。トレーニングがてら公園を散歩しながらさすった中嶋のお腹には、出産予定日を間近に控えた新しい命が宿っていた。元所属先のアルカス熊谷のチームスタッフ、中嶋真也氏との子だ。
「人生には自分が最優先ではないフェーズもある」
17年3月に結婚した中嶋は、18年夏に妊娠が判明。そんな折、真也氏に女子ラグビーチーム「弘前サクラオーバルズ(以下・オーバルズ)」の創設メンバーへのオファーが届いた。家族との生活、そして自分自身のキャリアをどう描くか――。一度に降ってきた2つの命題に中嶋は揺れていた。最終的に青森行きを決断した背景には、辛い体験もある。
「実は一度初期流産していて、赤ちゃんが無事に生まれてきても健康に育つのは当たり前ではないと実感したからこそ、最初は3人で生活を組み立てたいと思ったんです。私のプレーをずっと支えてくれた夫の選択を尊重したいと青森に行くことを決めました。人生には自分が最優先ではないフェーズもあると思うんです」
産後復帰よりも大変だった「競技と育児の両立」
新興のオーバルズで選手兼コーチとして活動すると決め、青森に移ったのは出産のおよそ1カ月前。平成最後の日、19年4月30日に長女・咲舞ちゃんを無事に出産した。アスリートの資本である身体が「妊娠、出産を経て変わるのではないか」との不安はあったが、産後半年で中嶋の姿は復帰戦のピッチにあった。