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京大→新潮社→未経験からラグビー日本代表に…リオ五輪代表の中嶋亜弥が振り返る“異色キャリアの誕生秘話”
posted2021/10/21 11:03
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph by
Yu Shoji
京都大学卒、新潮社社員、そしてラグビー女子リオデジャネイロ五輪代表。他種目転向組が大半を占める女子ラグビー界の中でも、これほど異色の経歴を持つサクラ戦士はこの先、現れないのではないか。
リオ五輪ラグビーセブンズ女子代表、中嶋(旧姓・竹内)亜弥。社会人1年目でラグビーと出会い、7年で五輪代表に上り詰めた彼女は今、本州最北の地・青森で楕円球を追う。
幼い頃から秀才路線を歩んできた中嶋とラグビーはどこで交差したのか。そして、なぜ、青森に――。女子15人制代表のチームマネージャーとして来年のワールドカップ出場を見据える中、ラグビーとの出会いやリオ五輪までの道のりを振り返ってもらった(全2回の1回目/#2へ続く)。
◆◆◆
アクシデントで急遽「リオ五輪の登録メンバー入り」
京大卒の女性として初のオリンピアン誕生へのパスは、予期せぬ方向から投げられた。
2016年8月8日、リオ五輪ラグビーセブンズの大会2日目、中嶋は13人目の代表選手としてフィールドへと足を踏み入れた。当初の登録メンバーは12人。登録メンバーに選出されず、バックアップでリオ入りした中嶋の出場の目は薄いはず、だった。
だが、初日の英国戦で主戦の冨田真紀子が脳震盪を起こして途中離脱。大会中の復帰は見込めず、急きょメンバー入りが決まった。
「私が出るということは、チームがベストな布陣を組めないということ。それを願ってはいけないし、考えないようにしていました」
心に秘めた思いとは裏腹にメンバー入りが決まり、滞在していたチームスタッフ用のマンションから離れ、選手村に入った。
出場したのは24-0で快勝したケニア戦と、5-33で完敗したブラジル戦の2試合。結果は10位。途中出場でプレー時間はほんの5分ほどだった。それでも、五輪アジア予選後の代表落ちなどを経験してきた彼女にとってはすべてが凝縮された、濃密な時間だった。
「オリンピックの2日間だけが特別だったとは思っていないんです。今思い出すのは、アジア予選後に代表を一度外れたこととか、そこから這い上がったこととか自分にとっては意味のある過程の瞬間ばかりなんですよね。私にとってはそうした4、5年間のすべてがオリンピックでした」
大学卒業までラグビーとはおよそ無縁の人生を歩んできた。
東大ではなく京大へ「入試は“正解のないスポーツ”」
中嶋は岐阜市出身。1日中外で遊び回るのが好きな活発な子どもだった。その半面、自由研究で毎年自作の絵本や小説をしたためるなど聡明な一面も強かった。中学受験で愛知の名門・滝中学校に合格し、付属の滝高校に進学。大学受験では母親の母校でもある京都大文学部哲学科に現役合格している。