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森保監督の《ミスした柴崎岳投入》に思い出す、誹謗中傷されたブラジルの名手… ドゥンガがW杯優勝で「馬鹿野郎!」と叫んだワケ
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byKiichi Matsumoto/JMPA
posted2021/10/16 17:01
柴崎岳を送り出した森保一監督。ブラジルでもセレソンで致命的なミスをした選手が誹謗中傷を受けるケースがあった
1982年大会2次リーグ最終戦・イタリア戦の前半、不用意な横パスをイタリアのCFパウロ・ロッシにさらわれ、これが失点に結びつく。ブラジルは敗退し、セレーゾのミスがその原因の1つとされた。
その後3年間、セレーゾは代表へ招集されなかった。1986年W杯でブラジルを率いたのは1982年大会と同じ名将テレ・サンタナ(サンパウロを率いて1992年と93年にクラブ世界王者)だったが、セレーゾを招集することはなかった。
10年ほど前、セレーゾにインタビューする機会があった。1982年W杯のイタリア戦に話が及ぶと、にこやかだった表情が一変。「あの試合のことは話したくない」とコメントを拒んだ。
ロベカルが猛烈な非難に吐き捨てた「決別宣言」
「世界フットボール史上最高の左SBの1人」と評されるロベルト・カルロスも、2006年W杯の準々決勝フランス戦の失態で人生が変わった。
後半、フランスが敵陣左サイドでFKのチャンスをつかみ、名手ジダンがファーサイドへハイクロスを送る。このとき、ロベルト・カルロスはなぜかストッキングを直していて、自分がマークすべきティエリー・アンリをフリーにしてしまった。アンリがクロスに合わせて走り込み、右足で決めてフランスが先制。これが決勝点となった。国中から猛烈な非難を浴びたロベルト・カルロスは、「もう二度と代表ではプレーしない」と吐き捨てた。
罵倒されながら捲土重来を果たしたドゥンガ
しかし、例外的に、国中から痛罵されながら、捲土重来を果たした選手がいる。闘将ドゥンガ(1995年から98年までジュビロ磐田で活躍。1997年のJリーグで優勝してMVP)である。
1990年W杯に出場し、中盤の守備の中心的な役割を担った。しかしラウンド16、宿敵アルゼンチンとの試合で、ブラジルは圧倒的に攻めながらカレッカらの決定的なシュートがバーやポストに嫌われる。終盤、コンディション不良でそれまで全くチームに貢献できていなかったマラドーナが、突然、自陣からドリブルを開始し、ドゥンガらを振り切ってCFカニーヒアへ絶妙のパス。GKと1対1となったカニーヒアが決めてアルゼンチンが先制し、これを守り切った。
この敗戦の大きな責任がドゥンガにあったとは思えなかったが、守備的だったチームの象徴としてセバスチアン・ラザローニ監督とともにメディア、国民から猛烈な批判を浴びた。
以来、ラザローニ監督への評価が急落。国内ビッグクラブのほとんどが見向きもしなくなった(このような事情もあって、2001年から02年まで横浜F・マリノスを率いた)。