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落合博満「ドラ1は野本でいってくれ」ドラフト前日に落合と中日スカウト陣が異例の内紛…13年前ドラゴンズが大田泰示の指名を見送るまで
posted2021/10/23 17:04
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Sankei Shimbun
そのなかから、山井大介の“消えた完全試合”の翌2008年、中日スカウト部長だった中田宗男が抱えていた“苦悩”の場面を紹介する。同年ドラフト前日、中田の予感が的中。落合監督とスカウト陣は1位指名を巡って決定的に対立してしまう(全3回の3回目/#1、#2へ)。
落合「1位は野本でいってくれ」
会議が始まってから、もう4時間が経とうとしていた。室内には睨み合ったまま動かない2つの空気があり、中田はその中で無力感を握りしめていた。
2008年のドラフト会議を翌日に控えた10月29日、中日のスカウトたちは東京・品川のホテルの一室に集まっていた。
この日は落合を交えて、どの選手をどの順で指名するか、最後の詰めの協議が行われていた。会議の冒頭から、落合は各地区の担当スカウトの報告を聞きながら、指名候補選手のビデオ映像に目を通していた。そして、それが終わると、あらかじめ台詞を用意していたかのように言った。
「1位は野本でいってくれ」
野本圭、24歳。社会人・日本通運の外野手はアマチュア日本代表の中心メンバーでもある好打者で、いわば完成品であった。
やはり、野本か……。
中田は落合がそう言い出すのを半ば予想していた。これまで落合の口からその名前を何度か聞いたことがあったからだ。
「お前らには悪いんだけどな、どうしても野本が欲しいんだ」
ただ、中田にもこれと決めた選手がいた。大田泰示、18歳。神奈川の強豪・東海大相模高校で通算65本塁打を放った188センチの大型遊撃手である。未完成ながら巨大な可能性を秘めた今ドラフトの目玉だった。
「野本は良い選手です。ただ、将来を考えれば、大田の方が大きく育つ可能性があるんじゃないですか」
中田は言った。ここは譲ってはならないという覚悟があった。
中田がスカウトになってからの中日は、1985年の清原和博をはじめとして、92年の松井秀喜、95年の福留孝介と、数年にひとりと言われる大型スラッガーが現れた年には必ず1位で指名してきた。たとえ、抽選に外れて獲得できなかったとしても、それが球団のアイデンティティだと考えていた。
そんな中田に落合は言った。