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13年前、中日スカウト部長のため息…落合博満「すぐに使える選手が欲しい」と星野仙一「スカウトは10年先のチームを見ろ」
posted2021/10/23 17:02
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
BUNGEISHUNJU
そのなかから、山井大介の“消えた完全試合”の翌2008年、中日スカウト部長だった中田宗男が抱えていた“苦悩”の場面を紹介する。星野仙一と落合博満、どちらの監督も知る中田が痛感した2人の差とは?(全3回の1回目/#2、#3へ続く)
このチームは、この先、どうなってしまうのか……。
中日のスカウト部長・中田宗男の不安は年を経るごとに大きくなっていた。
2008年が明けてまもない1月9日の朝、二軍のナゴヤ球場に隣接する選手寮には慌ただしく人が出入りしていた。前年秋のドラフト会議で指名した新人選手たちが入寮してくるのだ。
中田は寮の入口で新人選手たちを迎えていた。キャリーケースやボストンバッグに希望と不安を同じだけ詰めて、プロの第一歩を踏み出す彼らに、中田は天性のカラリとした笑みを見せていた。それがスカウト部長としての年頭の仕事だった。
オールバックの丸顔には人を安心させる力があったが、その笑みの裏で葛藤は続いていた。この年、寮に入ってきた新人選手はわずかに4人で、そのうち3人が投手だった。野手は社会人出身の、どのポジションもできる器用なタイプが1人だけだった。この中の何人が一軍の舞台に立つことができるのか、戦力のバランスはこれでいいのか、という思いがあった。
中田は新人選手たちの入寮を見届けると、黒いコートの襟を立てて、乾いた寒風が吹きつけるグラウンドに出てみた。冬枯れの芝生の上ではいくつかの長い影が動いていた。自主トレーニングにやってきた選手たちが走っているのだ。現有戦力の彼らもまた、そのほとんどが中田の笑みに迎え入れられた選手たちだった。
新しく入ってくる者がいれば、同じ数だけ去りゆく者もいる。その中で生き残った者だけがここにいる。チームとは本来、そうした血の循環によって生きている。
中田の危惧はそこにあった。
落合「すぐに使える選手が欲しい」
今、チームを支えているのは、いわゆる10年選手たちだった。
1988年に入団した立浪和義を別格として、荒木雅博と井端弘和の二遊間コンビも、エースの川上憲伸も、ストッパーの岩瀬仁紀も、1980年代終わりから1990年代後半に入団してきた。つまり、星野仙一が監督の時代に獲得した選手たちだった。
彼らの次を担う選手は育っているのか……。
他球団では20代前半の選手がスタメンを張っているというのに、中日はレギュラーのなかで最年少の森野将彦でさえ、もう30になる。チームは高齢化していた。中田には血の巡りが滞っているように感じられた。20年近くこの球団のスカウトを務めている身としては看過できなかった。