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大谷翔平17歳「藤浪君、高いな」「野茂さんがやったようなことを…」 かわいさとスゴさだらけの二刀流伝説《高校野球・日本ハム編》
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byHideki Sugiyama
posted2021/09/11 17:02
2014年、20歳だった頃の大谷翔平
「野茂さんがメジャーに行ったころは、まだ向こうで結果を出した選手はいませんでした。初めて成功した人だったから衝撃も大きかったと思うんです。高校生でアメリカに行くということも一つの道だと思う。それをやってみたいという気持ちがあるんです」
パイオニア精神あふれる大谷に対して、あえてドラフト1位指名したのは日本ハムだった。『大谷翔平君 夢への道しるべ』と題された資料によって、アメリカに直接行くよりも日本で実力を磨くことの意味を解き、大谷を見事に“口説いた”のだ。
この入団が、プロ野球と大リーグで前人未到の道を切り開く第一歩となった。
プロ1年目「今は周りに何を言われても」
<名言3>
二つやったから大変だったとか、そういうのは……どうかな。
(大谷翔平/Number841号 2013年11月14日発売)
◇解説◇
投手と打者の“二刀流”を掲げて、プロ1年目のシーズンに臨んだ大谷。投手としては3勝0敗、防御率4.23。打者としては3本塁打20打点、打率.238をマークした。
「今は周りに何を言われても、何も感じないですね。どっちかに絞るという感覚も、あんまりないかな。そもそも、そういう感覚があったら、ここには来てなかったと思うので、今はずっと両方ともやっていくという目標を持ってやってます」
当時はまだ解説者にも“打者専念派”や“投手専念派”の解説者が多かった。それについて問われると、こう泰然自若と語っていたという。
「バッティングにはバッティングのうまくいかないことがありましたし、ピッチングにはピッチングのうまくいかないことがあった。それは二つやってなくても、一つだったとしても変わらなかったと思います」
冷静に考えれば、高卒1年目でどちらかの成績を残しただけでも“今後のスター候補”として及第点だろう。
しかしそこで満足しなかったことが、その後の覚醒につながる。