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中山雅史はピッチレポーター→1カ月半後に“ジョホールバル”スタメン、呂比須は発熱…なぜ最終予選はいつも“何か起きる”のか?

posted2021/09/08 11:55

 
中山雅史はピッチレポーター→1カ月半後に“ジョホールバル”スタメン、呂比須は発熱…なぜ最終予選はいつも“何か起きる”のか?<Number Web> photograph by Etsuo Hara/Getty Images

1997年のW杯最終予選イラン戦の延長戦前、名波のストレッチを手伝う中山

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NumberWeb編集部

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Etsuo Hara/Getty Images

雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回はワールドカップアジア最終予選にまつわる3つの言葉です。

<名言1>
人生は山あり谷あり。下がった時に、どう考え、どう行動するか。僕はいつでも挑戦者の立場ですから。
(中山雅史/Number1001号 2020年4月16日発売)

 

◇解説◇

 1997年11月16日、日本が初のW杯出場を決めた試合、“ジョホールバルの歓喜”で先発した“炎のストライカー”中山雅史は貴重な先制ゴールで勝利に貢献した。

 実はこの1カ月半前、最終予選の韓国戦ではテレビ中継のピッチリポーターを務めていたという。中山はこう語っている。

『アッコにおまかせ!』内の中継でピッチレポーター

「9月末にホームで迎えた韓国戦(アジア最終予選第3戦)ではTBSさんから声がかかってゲスト出演。ピッチリポーターをやるというのは当日知りました。昼の番組『アッコにおまかせ!』内の中継があると。いま考えたら、びっくり話ですね」

 しかしこのシーズン、中山は当時ジュビロ磐田でコーチだった山本昌邦氏とともにフィニッシュの改善に取り組んだ成果が表れ、ゴールを量産していた。

 その結果、11月のワールドカップ・アジア最終予選のカザフスタン戦で、実に2年5カ月ぶりに日本代表への復帰を果たし、ジョホールバルで前述の活躍を見せた。

「リポーターからスタメンへ。そんな話、普通はないですよね」

 そこからフランスW杯、そしてJリーグ4試合連続ハットトリックという大記録へと繋がっていったのだ。

【次ページ】 発熱した呂比須は「僕のプレーが10秒でも必要なら…」

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