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なぜ西武に今まで“生え抜き2000本安打”がいなかった? 栗山巧に見る“ライオンズ文化”と新たな覚悟とは《清原、秋山、和田、松井稼は他球団で》 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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posted2021/09/05 06:01

なぜ西武に今まで“生え抜き2000本安打”がいなかった?  栗山巧に見る“ライオンズ文化”と新たな覚悟とは《清原、秋山、和田、松井稼は他球団で》<Number Web> photograph by Kyodo News

西武で初となる2000本安打を達成した栗山巧の、プロ初安打(2004年9月)

 ライオンズは2リーグ分立時の1950年に福岡県に西鉄ライオンズとして創設された。1956年からは名将三原脩監督のもとリーグ、日本シリーズ3連覇、本拠地を埼玉県に移し、西武ライオンズになってからは1982年から2連覇、1985年から1994年までの10年では9回リーグ優勝するなどパ・リーグ最強チームとして君臨してきた。

ライオンズの“大打者を他球団に送り出す”歴史

 当然、その黄金期にはリーグを代表する打者が多数輩出したが、ライオンズはこうした主力選手を、一定の年限で他球団に送り出してきたのだ。年俸が高騰して球団の財政に響くことを考慮したからだとされる。経済的に厳しいパ・リーグ球団はどこも同じような方針だったが、とりわけライオンズは徹底していた。

 ライオンズで1000本安打を記録した打者は20人いる。彼らの通算安打を見てみよう。()は西武における実働年。「→」は移籍先、「・」以下の安打はNPBのキャリア通算安打。※は現役選手。

※栗山巧 2000安打(2004-)
石毛宏典 1806安打(1981-1995)
→ダイエー・1833安打
伊東勤 1738安打(1982-2003)
※中村剛也 1609安打(2004-)
高倉照幸 1446安打(1953-1968)
→巨人、アトムズ、ヤクルト・1611安打
松井稼頭央 1439安打(1995-2003,2018)
→MLB、楽天・2090安打
※秋山翔吾 1405安打(2011-2019)
→MLB
※中島裕之(現・宏之) 1380安打(2002-2012)
→米マイナー、オリックス、巨人・1884安打
清原和博 1353安打(1986-1996)
→巨人、オリックス・2122安打
玉造陽二 1282安打(1955-1967)
豊田泰光 1280安打(1953-1962)
→国鉄・サンケイ、ヤクルト・1699安打
中西太 1262安打(1952-1969)
基満男 1255安打(1967-1978)
→大洋・1734安打
秋山幸二 1224安打(1981-1993)
→ダイエー・2157安打
辻発彦 1195安打(1984-1995)
→ヤクルト・1462安打
※浅村栄斗 1178安打(2010-2018)
→楽天・1537安打
関口清治 1133安打(1951-1961)
→阪急・1298安打 西鉄入団前に巨人、西日本に在籍
和田博実 1104安打(1955-1972)
鈴木健 1081安打(1989-2002)
→ヤクルト・1446安打
和田一浩 1032安打(1997-2007)
→中日・2050安打

 20人のうち、ライオンズだけでプレーをしたフランチャイズプレイヤーは、栗山巧、伊東勤、中村剛也、玉造陽二、中西太、和田博実の5人だけである。

西鉄黄金期を築いた中西・豊田のキャリアは?

 西鉄ライオンズの黄金期を築いた中軸打者である中西太、豊田泰光のうち、豊田は10年目に国鉄スワローズに移籍。これは当時あった「10年選手制度(主力選手として活躍した選手は10年目にボーナスを受け取るか、他球団に移籍できる。現在のFA制度に近い)」の適用を回避したかった球団の意向によるという。

 一方の中西は9年目以降、手首の腱鞘炎などの故障によって成績が急落し、西鉄でキャリアを終えた。皮肉なことに成績が下がったことで、フランチャイズプレイヤーになった形だ。

【次ページ】 秋山と清原、現監督の辻も移籍を経験した

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