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智弁和歌山優勝のウラに“元主将”のデータ分析…中谷監督が期待していた正捕手候補「しんどかったけど、やっててよかった」 

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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posted2021/09/02 17:05

智弁和歌山優勝のウラに“元主将”のデータ分析…中谷監督が期待していた正捕手候補「しんどかったけど、やっててよかった」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

和歌山大会ではホームランを放つなど、勝利に貢献した石平創士(3年)。甲子園では背番号12をつけてチームを支えた

 中谷監督がコーチとして母校に戻ったのと同時期に入学したのが黒川たちの代だった。西川や黒川は1年生の頃から毎日、「ノック打ってください」と居残り練習を志願した。遊撃手の西川は、「中谷さん、最初はむちゃくちゃ怖かった」と話していたことがあるが、毎日密に接するうちに冗談も言い合えるようになった。

 もともとその年は、黒川、西川を筆頭に、貪欲で物怖じしない個性的な選手が揃っていた。中谷監督は選手と本気のぶつかり合いができ、打てば響く手応えを感じていた。「日本一を狙える」と思えた。

 一方、今夏優勝したチームは、2年前のような強烈な個性を放つ選手は少ない。中谷監督は昨秋の大会後、「大人しい。いいやつばっかり。もっと我を出して、いい意味でやんちゃな人間がいてもいいのにな」と話していた。打っても響いている手応えがなく、「ネットに向かってボールを投げているような感じ」と物足りなさを口にしていた。

正捕手候補だった石平創士

 人間的にも技術的にも、選手たちが日本一に近づけるように、卒業後も大きく羽ばたけるようにという思いが強い分、中谷監督の指導は細かく、厳しい。目配りが利くため、選手の甘えや変化を見逃さない。その頃、特に気になっていたのが主将の石平創士のことだった。

 捕手の石平は、東妻のあとを引き継いで1年秋から正捕手を務め、主将になるのは自然な流れだった。しかし昨年の秋季大会を通して、監督には石平が行き詰まっているように見えた。

 昨秋は和歌山大会準決勝、近畿大会準々決勝でいずれも市和歌山に敗れ、センバツ出場が厳しい状況に追い込まれていた。石平は主将として、捕手として、責任の重さに押しつぶされそうになっていた。

 中谷監督や芝野恵介部長が「キャプテンとしてこういう行動を覚えていってほしい」と求めても、「野球好きか?」と聞いても、「うーん」。石平はハッキリと答えられなかった。

 そこで、昨年の12月は3年生が数日ごとに順番に主将を務め、その後どうするか決めようということになった。そしてその期間が終了する時、監督の「主将やりたいやつは?」という問いかけに、宮坂厚希を含む数人が手を挙げ、投票で宮坂に決まった。

「チーム状況が本当によくなかった。自分は前の代から試合に出させてもらっていたので、自分がキャプテンをやってチームをどうにか引っ張りたいという思いでした」と宮坂は振り返る。

 その時、石平は手を挙げることができなかった。

【次ページ】 石平「自分に自信がなくて」

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