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「メッシやペレよりタイトルに愛された38歳」ダニエウ・アウベス “金メダル4日後に母国でフル出場+小学校でのズル賢さ秘話”
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byTakuya Kaneko/JMPA
posted2021/08/29 17:00
東京五輪金メダリストとなったダニエウ・アウベス。その4日後にブラジルでフル出場したというのだから驚きだ
しかし、母親は「そんな手紙は、一度も受け取った覚えがない」。
全部、ダニエウが破り捨てていた。ブラジルのフットボールで「必要不可欠」とされるマリーシア(ずる賢さ)は、早くもここでも発揮されていた。
マリーシアの一方で性格は底抜けに明るい
性格は、底抜けに明るくてひょうきん。イギリスのコメディアン「ミスター・ビーン」が大好きで、いつもその物真似をしてクラスメイトを笑わせていた。
1995年、ネイが所属していたクラブが他のアマチュアクラブと統合されてプロになった。ネイはこのクラブのU-17に入り、ダニエウも翌年、13歳で同じクラブのU-13に入団した。
クラブの練習場は遠く、家から通うのは不可能だった。しかし、創設されたばかりのクラブは財政難で、下部組織の選手のための寮がなかった。プロ選手を夢見る2人の息子のため、両親は苦しい家計の中からお金を捻り出し、練習場の近くに2人が住むためのアパートを借りた。週に2、3回、母親がアパートを訪ね、息子たちの洗濯物を取り替え、食べ物の作り置きをしていった。
それまでも苦しかった家計が、余分な出費のせいでますます苦しくなった。当時のことを思い出し、母親は「あの頃は、本当に大変だった。家計は火の車で、私たちは食べる物にも事欠いて……」と涙ぐむ。
「プロになるには右SBが近道だろう」
ダニエウは、厳しい家庭の事情がよくわかっていた。「何が何でもプロ選手になる」という思いがますます強まる。学業は完全に放棄し、午前中はクラブのU-13の練習に出て、午後もU-15の練習に特別参加し、さらに夜は個人練習。朝から晩まで、サッカー漬けの日々を送った。
必死に練習する小柄な少年の姿が、トップチームのジョゼ・カルロス・ケイロス監督に目に留まった。顔を合わせると、「将来、君は必ずプロになれる。頑張れよ」と励ました。
アタッカーから右SBへの転向を勧めたのも、ケイロス監督だった。
「スピードもテクニックも人並以上だが、アタッカーは競争が非常に厳しい。彼はスタミナが人一倍あったから、プロになるには右SBが近道だろうと思った」
「とにかく、よく練習していた。素質がある選手は他にもいたが、あれだけ練習する子はいない。よく練習する、というのは良い選手になるための重要な資質のひとつだから、将来、プロになれるとは思っていた。でも、まさかバルセロナで大活躍して欧州チャンピオンズ・リーグ(CL)で3度も優勝したり、セレソンに招集されてワールドカップ(W杯)に何度も出場するほどの選手になるとは想像できなかった」