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「メッシやペレよりタイトルに愛された38歳」ダニエウ・アウベス “金メダル4日後に母国でフル出場+小学校でのズル賢さ秘話” 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byTakuya Kaneko/JMPA

posted2021/08/29 17:00

「メッシやペレよりタイトルに愛された38歳」ダニエウ・アウベス “金メダル4日後に母国でフル出場+小学校でのズル賢さ秘話”<Number Web> photograph by Takuya Kaneko/JMPA

東京五輪金メダリストとなったダニエウ・アウベス。その4日後にブラジルでフル出場したというのだから驚きだ

17歳にして現代的な変幻自在のSBぶりだった

 人間としても選手としてもダニエウを気に入ったケイロス監督は、1997年、サルバドールの強豪バイアのU-15の監督に招聘された際、クラブ首脳にダニエウの獲得を進言した。こうしてダニエウもバイアのU-15に加わり、引き続きケイロス監督の指導を受けた。

 翌年、U-17に昇格。監督は、マルセロ・シャムスカだった。2005年から09年まで大分トリニータの監督を務めたペリクレス・シャムスカの弟である(彼自身も、大分でコーチとして兄を支えた)。彼も、ダニエウのプレーに惚れ込んだ。

 粘り強い守備で相手の左ウイングを封じると、チャンスと見るやタッチライン沿いを全速力で駆け上がる。ボールを受けると、柔らかいドリブルで突破したり、味方との巧みな連携で抜け出して敵陣深くまで侵入し、精度の高いクロスを入れる。あるいは、中へ切れ込んで強烈なミドルシュートを放つ――。後にバルセロナやブラジル代表で見せるプレーの原型は、すでにこの頃にできていた。

「ダニエウをレギュラーにしろ!」の大歓声

 2001年、18歳で待望のプロ契約を結ぶ。当初は控えのそのまた控えだったが、この年の11月、右SBのレギュラーと控えが揃って故障したことから、ブラジルリーグの試合で先発で起用された。

 地元観衆の大声援を受け、果敢に右サイドを駆け上がり、ドリブル突破を試みる。ペナルティエリアに侵入したところを倒されてPKを獲得。さらに、別のゴールもアシストしてチームの3得点のうち2得点にからみ、勝利の立役者となった。

 スタンドの観衆は大喜びで、試合の終盤、「ダニエウをレギュラーにしろ!」というコールを繰り返した。その言葉通り、以後、ダニエウは一気にレギュラーとなった。

 この年、ブラジルリーグの6試合に出場すると、翌年前半に行なわれたコパ・ド・ロルデスチ(ブラジル北東部の主要16クラブが参加するカップ戦)で優勝。これが、彼が獲得した最初のタイトルである。

 この年の前半、すべての大会を合わせて31試合に出場し、5得点をあげた。

 19歳にして、サイドバック王国ブラジルでも有数の選手となった。国内ビッグクラブと欧州の中堅クラブが彼に熱い視線を送るのは、当然の成り行きだった。

 <後編に続く。関連記事からもご覧になれます>

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