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「メッシやペレよりタイトルに愛された38歳」ダニエウ・アウベス “金メダル4日後に母国でフル出場+小学校でのズル賢さ秘話”
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byTakuya Kaneko/JMPA
posted2021/08/29 17:00
東京五輪金メダリストとなったダニエウ・アウベス。その4日後にブラジルでフル出場したというのだから驚きだ
長時間移動と12時間の時差を乗り越えて
その吉田も、決勝戦の後、彼が20時間以上かけて地球の反対側の母国へ帰還し、五輪の激闘と長時間移動の疲れ、さらには12時間の時差を乗り越え、わずか4日後、コパ・リベルタドーレスの試合にフル出場したことは知らないのではないか。
超人的な心身のスタミナを備え、キャリア21年目にして今なお世界最高の右SBの1人であるこの男は、これまでどのような道のりを歩んできたのだろうか。
生まれたのは、ブラジル北東部サルバドール郊外の寒村。決して豊かな地域ではないが、人情味あふれる人が多く、この地に生まれたことを大いなる誇りとしている。
4人兄弟の末っ子で、兄2人と姉1人がいる。一家は小作農で、わずかな農地を借りて野菜や果物を栽培し、村の商店に卸して収入を得ていた。炎天下、両親が朝から晩まで鍬を握り、子供たちも学校から帰ってくると仕事を手伝ったが、生活は楽ではなかった。
父親の唯一の趣味は、フットボール。友人と一緒にチームを作り、日曜日には他のチームと試合をして楽しんだ。攻撃的MFで、小柄だがテクニックがあった。
男の子3人は、歩けるようになると父親からフットボールの手ほどきを受けた。5歳上の兄ネイは、兄弟の中で最も大柄で、屈強だった。13歳のとき、隣町ジュアゼイロのアマチュアクラブの下部組織に入団し、CBとして活躍した。
すぐに教室を抜け出してボールを蹴ると先生は激怒
ダニエウは、小柄で華奢だがスピードとテクニックを備えたアタッカーだった。幼い頃から、「必ずプロ選手になって家族を助ける」と心に決めていた。
勉強が特に嫌いというわけではなかったが、「自分にとっての優先順位は、一番がフットボール」と割り切った。毎朝、学校へは行くのだが、最初の授業だけ出席するとすぐに教室を抜け出し、近くの広場で1人でボールを蹴る。宿題も絶対にやらない。
担任の先生が激怒し、「ダニをすべての授業に出席させてください。宿題も、きちんとやらせてください」という母親宛ての手紙を再三書き、ダニエウに託した。