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「調子どう?」ファンの声掛けに応えたら…ダービー2勝の名ジョッキー大崎昭一を襲った“悲劇の冤罪事件”とは
text by
小川隆行Takayuki Ogawa
photograph byKeiji Ishikawa
posted2021/09/05 11:00
通算970勝を上げた名ジョッキー・大崎昭一
今ではテン乗りなど当たり前だが、当時は厩舎が騎手を決める時代であり、騎手と調教師のつながり=徒弟制度が強かった。一度のミスで降ろされることは少なく、勝てなくとも5走ほどは騎乗していた時代だ。そんな中、テン乗りでの勝利が目立つ大崎は厩舎村で「勝負勘がいい」と評され「代打騎乗」の信頼性が高かった。美浦トレセンでの取材の際、「次は昭ちゃんだから」と語る厩務員の顔が「イケる」という表情に満ちていたのを覚えている。
そんな大崎にとって、騎手人生を大きく変える事件が起きた。
ファンの声掛けに応じて…まさかの騎乗停止事件
カツトップエースのダービーから3年後の夏。新潟競馬場での馬場入りの際、ファンから「調子はどう?」と聞かれた大崎が返事をした。声をかけたのは面識のある人物で、愛想のいい大崎は何気ない気持ちで答えたと言われた。
しかし、この件は『公正競馬に害する』とされ、JRAから騎乗停止処分を下された。
この事件から数年後、当時を知るベテラン予想家が事件の顛末を推測してくれた。
「昭ちゃんは単に知り合いに返事をしただけなんだ。うかつなミスなのに処分が重すぎるという空気が流れた。処分を軽くしてというファンからの署名運動もあったよ。見せしめ、という関係者もいたけど、新潟で起きた薬物投与事件(大崎は無関係)の不始末も絡んでいたなどと憶測された。俺も(処分は)重すぎだと感じてたよ」
騎乗依頼の連絡をうけるべく電話のそばから離れなかった
結果として冤罪となったものの、事件後の大崎はローカルでの騎乗が増えた。事件の後遺症もあって騎乗数が減り、裏開催がメインとなる。調教に乗った馬の様子を調教師に報告するなど、若手時代のように努力を重ねた。武豊を筆頭に若手騎手も台頭してきた。携帯のない時代でもあり、騎乗依頼の連絡をうけるべく電話のそばから離れなかったという。
事件後、関西を主戦場とした大崎に声をかけたのが橋口弘次郎師だった。同じ宮崎県出身で学年も1つ違い。郷土意識が強く、また友人を大切にする情の熱い人物でもある橋口がレッツゴーターキンの騎乗を依頼した。大崎はテン乗りで谷川岳Sを勝つと北九州記念・小倉記念とも2着。福島民報杯を制して天皇賞に名を連ねた。