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“18歳で選手生命の危機”を味わった市川大祐が今、中学生年代に伝えたいこと「サッカーが好きだから無我夢中すぎて…」
posted2021/08/27 17:01
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph by
S-PULSE
オーバートレーニング症候群という病名がまだ、あまり知られていなかったこの時代。まだ18歳と若かった市川はどのようなプロセスを踏み、立ち直っていったのだろうか。
オーバートレーニング症候群は「休養」が必須の治療となる。発症までのトレーニング強度や期間、症状の程度にもよるが、まずは完全休養をし、定期的な通院のもと、トレーニングを再開してもいいと判断されれば、軽い強度からトレーニングを開始する。
市川の復帰へ向けてのプロセスも体を休めることから始まった。
完全休養期間はサッカーから完全に離れ、家族と温泉でリフレッシュ。その後、2週間程度は練習場で晴れの日は30~40分間グラウンドをウォーキング、雨の日はウォーキングの代わりに室内で20分程度自転車を漕いだ。「これがリハビリなのかと思うほど軽いものだった」というが、重度になればウォーキングさえも禁止になることがあるという。
スタッフが組んでくれたプログラムを忠実にこなすことが、復帰への近道だと思い、無理はしなかった。
「『イチはこれでいいんだよ、今は』。スティーブやジュニアユース時代から見てくれていた大木武(現ロアッソ熊本監督)さんを始め、スタッフの方々が自分を気にかけてくれて、僕が焦りを感じないようなアプローチを考えてくれたり、環境を整えてくれました」
約2~3週間後に病院で行った検査では、練習量を増やしてもいいという医師のお墨付きももらい、少しずつトレーニングの強度も高くして増やしていった。
「苦しい思いはしましたけど、またこのピッチに立てるという思いと感謝、そして“サッカーってやっぱり楽しいな”と強く感じましたね」
体あってこその心
復帰戦となった99年5月5日、長良川で行われた名古屋グランパス戦のピッチに立ったときは、言葉では表せないほどの喜びの感情が溢れた。
「よく『心技体』といいますが、僕の場合は何よりもまず“心”が最初にきていました。でも、体が動くことが当たり前ではないという経験を通して、体あってこそのものだなとあらためて思うようになりました。もちろん、試合中の苦しい場面などで“心”でカバーすることも絶対に必要になります。でもそれを常にやっていたら体は壊れてしまいますから」