濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
中学生選手にデスマッチ、2試合ぶっ続け40分の王座戦...「お前らのせいでプロレスがダメになる」と言われたアイスリボンが覆した常識とは
posted2021/08/26 11:02
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
Norihiro Hashimoto
日本における女子プロレスの歴史は、アイスリボン以前/以後に分けて考えることができる。
2006年、さくらえみによって旗揚げ。リングを使わない「マットプロレス」が話題になった。選手にはキッズレスラー=小学生の選手も。引きこもりで対人恐怖症なのにプロレスを志した真琴も話題になった。“まとも”な団体として認められにくい活動ではある。しかし型破りな面白さは着実にファンを掴み、業界の常識を変えていった。
スター選手がいて、その存在に憧れた若者が厳しい競争を生き残ってリングに立つ超人の世界。それが従来のプロレス界だった。しかしさくらはプロレスの、少なくとも女子プロレスの敷居を思い切り下げた。子供でも、運動神経ゼロの引きこもりでもプロレスラーになれる。あらゆる女性たちに、闘うことで輝き、応援される術を開放したと言えばいいだろうか。後にアイスリボンを離脱したさくらは、新団体だけでなく『誰でも女子プロレス』という名のプロレス教室もスタートさせる。
さくらがもたらした“門戸開放”
キッズレスラー出身の里歩は業界屈指の人気選手となっただけでなく、アメリカの大型団体AEW参戦を果たした。何もできないへなちょこぶりがウケていた“無気力ファイター”真琴はキャリアを重ねると数々のベルトを巻いた。今年11月にはデビュー15周年の自主興行を後楽園ホールで開催する。
さくらが去った団体で取締役選手代表に就任した藤本つかさは、プロレスを題材にした映画『スリーカウント』をきっかけにアイスリボンへ。レスラー役で出演するための条件が、実際にデビューすることだったのだ。
この『スリーカウント』も、藤本だけでなく現AEWの志田光、『崖のふちプロレス』やコロナ禍での『無人プロレス』と個性的な自主イベントを連発するカルトレスラー・松本都を輩出している。さくらがもたらした“門戸開放”は、業界にとって間違いなくプラスだった。現役アイドルや芸能界からの挑戦が多い東京女子プロレス、“女優によるプロレス団体”アクトレスガールズは、明確にアイスリボン以降の流れにある団体だ。
12歳キッズレスラー、フィリピン出身イラストレーター
8月9日、アイスリボンは旗揚げ15周年のビッグマッチを横浜武道館で開催した。そこに名を連ねた選手たちの多くは、アイスリボン以前にはなかったであろう形でレスラーになっている。
第1試合に登場した咲蘭は7月にデビューしたばかり。12歳の中学1年生、キッズレスラーである。咲蘭、青木いつ希とトリオを結成した石川奈青は、ラジオの交通情報案内担当として働きながら選手になった。テクラを下してトライアングルリボン(3人同時対戦)のベルトを巻いたトトロさつきは宅地建物取引士。“レスラーになる夢を叶えるためすべてを捨てて……”ではないわけだ。自己実現のスタイルは人それぞれなのが現代のプロレスと言っていい。
この日は敗れたがアイスリボンで存在感を増しているテクラはオーストリアの選手だ。フランスの地下プロレスでデビューしたという彼女はプロレスを学ぶため日本に“留学”、アイスリボン入団を果たしている。Yappyは「日本が大好き」でフィリピンから来日したイラストレーター。アイスリボンの一般向けプロレスサークルからプロデビューした。