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“組んだ瞬間から息ぴったり”渡辺勇大・東野有紗はなぜ3年前から急成長できたのか「勇大君はこんなことを思っていたのかと…」《混合ダブルス銅》 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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posted2021/08/24 11:05

“組んだ瞬間から息ぴったり”渡辺勇大・東野有紗はなぜ3年前から急成長できたのか「勇大君はこんなことを思っていたのかと…」《混合ダブルス銅》<Number Web> photograph by Getty Images

東京オリンピックにて混合ダブルス初の銅メダルを獲得した渡辺・東野ペア

「この年齢で、ペア10年目というのは世界を見ても少ないと思います」

 渡辺は言う。類を見ないキャリアは、2人が出会ったときの感覚を大切にしたからこそ生まれた。

“同性ダブルス中心”だったこれまでの日本バドミントン界

 ときに停滞したこともある。混合ダブルスの置かれた環境がその要因となった。

 日本代表クラスにおいて、混合ダブルスにここまで重心を置いてきたペアは初めてだった。これまでオリンピックに出場したペアを振り返ってみても、それが裏付けられる。

 初めて五輪種目となったのは1996年のアトランタ大会。日本から最初に出場したのは2004年アテネの大束忠司 ・山本静香。2組目となったのが2012年ロンドンの池田信太郎、潮田玲子、そして2016年リオデジャネイロの数野健太、栗原文音の3組だ。大束と山本はペアとなって4年での出場で、大束はもともと取り組んでいた男子ダブルスでもアテネに出場している。池田と潮田の場合は、2008年北京五輪終了後、小椋久美子とのペアを解消した潮田が日本バドミントン協会の勧めもあり、混合ダブルスへの挑戦を決意したのがきっかけだ。そして数野と栗原がペアを組んだのは2015年から。混合ダブルスよりも男子ダブルスあるいは女子ダブルスがメインであった。

 それがために、混合ダブルスの指導を受けるという環境に乏しく、渡辺と東野は混合ダブルスの戦術や対戦相手の分析等を自ら行う比重が高かった。他の国では混合ダブルス専門のペアもいて、コーチがいることもある。それを考えれば、差は歴然としていた。成績は伸び悩んだ。

渡辺・東野ペアに訪れた転機

 転機が訪れたのは2018年1月だ。日本代表の混合ダブルスの専任コーチとしてジェレミー・ガン氏が就任したのである。他の種目に比べ強化が立ち遅れていることへの危機感からだった。

 渡辺と東野は、戦術をはじめ戦いをどう組み立てるのかを学んだ。試合や練習のあと、さまざまな場面でのミーティングの機会が設けられ、3人で話し合いながら課題などを整理した。感覚に頼るのではなく、考えながらプレーする習慣が身について行った。

 さらに大きかったのは2人のコミュニケーションだ。

「勇大君はこんなことを思っていたのかと知って、自分もやりやすくなったと感じました」(東野)

 長い時間の中で知っていたつもりになっていた相手を、より深く知るようになっていった。

【次ページ】 渡辺を支えた“もう一人の相棒”と奥原、福島からの言葉

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