オリンピックへの道BACK NUMBER
年間350日合宿、毎日8時間練習でも8位に敗れた新体操「フェアリージャパン」、17年間の“強化策”で得られたものとは?
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byShinya Mano/JMPA
posted2021/08/22 17:00
2014年から畠山愛理に代わり主将となった杉本(左)。リオ五輪に続き8位入賞となった
改革は抜本的なものだった。まずは選手個人の技量の差がはっきり出る個人種目より、集団の動きでカバ―できる団体の強化に重点を置いた。その上で、「個々のクラブに選手育成を任せるのではなく協会がかかわっていくこと」を方針にすると、大会での成績にとらわれず将来性を重視し、十代半ば前後の若い選手を全国から選んだ。
「なぜ(あの選手が)日本代表なのか、という声もありました」
批判も浴びたが方針は揺るがなかった。
「ただオリンピックに出るだけでなく、メダルを目標にしているので」
オーディションを経て選んだ選手は、家庭や学校、所属しているクラブに理解を得て1カ所に集めて共同生活ができるようにし、年間を通して1つのチームで練習ができる体制を整えた。文字にするのは簡単だが、理解を得ることだけでも多大な労力を伴う作業である。これらに注がれたエネルギーは並大抵ではない。その成果として2008年北京五輪で出場権を取り戻したが、大会では10位。メダルまでの距離はあまりにも遠かった。
ステップアップするために打った次の手は、新体操の強豪であるロシアの指導者をヘッドコーチに迎えることと、ロシアのサンクトペテルブルクにも拠点を設け、当地で生活しながら長期的に練習に取り組む環境を整えることだった。
2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロと五輪で入賞を果たしたあと、一連の改革が結果にはっきりと表れるようになっていった。それが2017年、2019年の世界選手権だった。
パリにつながる17年間
迎えた東京五輪はリスクをとって挑み、その結果、目標には届かなかった。メンバー交代や大会直近の練習の不調、さらに強豪国のレベルアップが著しかったことに加え、ロシアでの練習が困難になったことが響いたかもしれない。それでも、年間約350日の合宿生活で日々8時間強の練習を重ね、たしかな土台は築いた。ミスをしなくても入賞するのが精一杯だと言われていた時代から、国際大会で表彰台に上がることが珍しくないところまで来た。
改革の中心にいた山崎氏は、「オリンピックで終わるということは決まっていたこと」と退任を明らかにしている。出発時点で目標に掲げたオリンピックのメダルは手にできなくても、時間をかけて、次へつながる道は作った。
表彰台には立てなくても、17年の改革の時間が失われることはない。そして選手たちもまた、目標へ向かう過程で、きっと大切な糧を手にした。それが東京五輪だった。