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新体操日本代表が欧州勢破り金メダル。
“恋”の指導やルール変更も追い風に。

posted2019/09/26 20:00

 
新体操日本代表が欧州勢破り金メダル。“恋”の指導やルール変更も追い風に。<Number Web> photograph by Ryota Hasebe

団体総合決勝でボールの演技を終え、歓声に応える日本メンバー。東京五輪前年に大きな結果を残した。

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長谷部良太

長谷部良太Ryota Hasebe

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Ryota Hasebe

「風の街」と称されるアゼルバイジャンの首都バクーで行われた新体操の世界選手権。砂混じりの強風が吹き荒れた大会終盤の9月21日に、日本が歴史的快挙を成し遂げた。

 2種目の合計点で争う団体総合で、女王ロシアにあと一歩と迫る銀メダル。翌日の種目別決勝はボールでロシアを破り、日本団体史上初の金メダル。そして、フープ・クラブでも銀。来年に迫った東京五輪団体総合で表彰台が狙えることを世界中にアピールした。

 新体操といえば欧州のイメージが強い方も多いだろう。実際に長年、五輪や世界選手権の上位は欧州勢で占められてきた。そこで日本が互角以上の戦いができている理由は何か。出発点は15年ほど前に味わった屈辱にあった。

低迷脱却へロシアでの共同生活。

 日本は2004年アテネ五輪で団体出場枠を逃すなど低迷。危機感を強くした日本体操協会による支援の下、改革の先頭に立ったのが1984年ロサンゼルス五輪個人総合8位入賞の山崎浩子強化本部長だった。まずは団体の強化を優先し、それまで主流だった所属クラブごとの強化や代表選考にメスを入れた。

 代表としての活動時間が増えるよう練習や生活環境を整備し、実績よりも体型の良さや関節の柔らかさ、将来性などを基準とした新たな選考方法で全国から選手を選抜。世界基準のプロポーションを持った「卵」たちは共同生活で一体感を養いながら厳しい練習に耐え、徐々に力を伸ばしていく。

 日本は2008年北京五輪の出場枠を獲得し、団体総合で10位。方向性が間違っていないことを信じながら、代表チームは2009年にロシアへと旅立った。

「芸術の街」サンクトペテルブルクを拠点とし、すぐ隣で世界のトップ選手たちが練習するのを目に焼き付けながら質の高いトレーニングに励んだ。

 日本の強化を担当するロシア人のインナ・ビストロヴァ・コーチの指導は徹底している。バレエレッスンを取り入れて演技の美しさに磨きを掛けるだけでなく、普段の生活から美意識を高く持つことを求めた。時間があれば美術館やクラシックバレエのコンサートを鑑賞させ、あらゆる物から美しさを吸収させた。

 演技中の表現力を高めるため、「恋をしなさい」と助言することもあるという。

【次ページ】 2017年の銅メダルで成長を確信。

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