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“高校野球”が誕生したという阪急豊中駅に行ってみたら…高校ラグビーも高校サッカーも“豊中生まれ”でビックリした話
posted2021/08/19 11:01
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph by
AFLO
高校ラグビーも高校サッカーも“豊中生まれ”
豊中駅のラグビーボールをかたどったオブジェ(「全国高校ラグビー大会80回記念」とある)。高校ラグビーと言ったら東大阪市にある花園ラグビー場ではないのか。豊中と何の関係があるのだろうか……。
そう思ってラグビーボールの碑の裏側にあった説明書きを読む。すると、高校ラグビーのルーツに当たる第1回日本フートボール優勝大会が1918年に豊中運動場で行われたというではないか。つまり、高校野球のみならず高校ラグビーもこの豊中が発祥なのである。
そして、この第1回日本フートボール優勝大会はラグビーとサッカー(つまり両方フットボールだ)の合同大会だった。まだまだ黎明期、サッカーは9校、ラグビーは4校しか参加していない。ただ、紛れもなくどちらも今の高校ラグビー・高校サッカーの全国大会のはじまりである。ラグビーもサッカーも、豊中運動場でのフートボール優勝大会を第1回として数えている。
高校野球に高校サッカー、高校ラグビー。どれも日本の高校スポーツを代表する競技だ。そのすべてが、豊中運動場ではじまっていた。これはもう、豊中運動場、とんでもないメモリアルなグラウンドだったのではなかろうか。
じつは第1回日本オリムピックも豊中だった
というわけでさらに調べを進めてみると、野球、サッカー、ラグビーにとどまらないことがわかった。
豊中運動場は、小林一三(箕面有馬電気軌道の総帥)によって1913年に多目的グラウンドとして誕生した。メモリアルパークまで設けられて後世に大きな名を残しているのは1915年にはじまった高校野球発祥の地としてである。実際、当時の日本において野球は圧倒的1番人気のスポーツで、豊中運動場のこけら落としも日米大学野球であったという。
さらに美津濃商店(現在のミズノ)が主催する形で関西の中等学校を集めた野球大会や実業団大会も行われている。だが、それだけではなかった。1913年の秋、豊中運動場で第1回日本オリムピック大会が行われたのだ。
日本が近代オリンピックに初めて参加したのは、この前年の1912年である。といっても、参加した選手は金栗四三と三島弥彦のたった2人。近代スポーツの世界では弱小国だった。