甲子園の風BACK NUMBER
「甲子園が誕生したのは甲子園球場ではなかった」106年前“高校野球”がスタートした阪急豊中駅の消えた野球場、今は何がある?
posted2021/08/19 11:00
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph by
Masashi Soiri
オリンピックが終わったと思ったら、すぐに高校野球がはじまった。まったく休むヒマがない……というスポーツファンも多いのではないだろうか。
高校野球、夏の甲子園大会は今回で第103回を数える。103回といっても、戦時中(1942~1945)は開催されていない。なので歴史そのものは100年を大きく超える。第1回大会は、1915年の開催である。
その第1回は代表校として10校が集い、優勝したのは京都二中。高校野球ではなく、中等野球として行われていた時代の話だ。今では高校野球の代名詞にもなっている甲子園=阪神甲子園球場は姿形もなく、第1回大会は豊中運動場という野球場で行われている。そう、“甲子園”のはじまりは甲子園ではなく、豊中だったのである。
甲子園(というとこの後の話がややこしくなってくるので、“高校野球”とします)が盛り上がっているいま、高校野球発祥の豊中運動場(の跡地)を訪れてみることにしよう。いったい、どんな場所で高校野球はプレイボールの声をあげたのだろうか。
大阪府第4位の都市「豊中」とは?
豊中運動場は、その名の通り豊中にあった。といっても、関西在住の人でもなければ豊中と聞いてもピンとこないだろう。
豊中は大阪府の北部にある人口約40万人の都市だ。40万人という人口は大阪府において大阪市・堺市・東大阪市に次ぐ第4位。
その中心が阪急宝塚線の豊中駅だ。市の東側は千里ニュータウンに含まれており、阪急宝塚線の沿線もまた阪急電鉄創業時から開発された伝統の住宅地。つまり大阪市のベッドタウンというわけである。
豊中の消えた野球場、今は何がある?
そして豊中駅から西に向かって10分ほど歩いたところに、豊中運動場がある。ちなみに、豊中には豊中ローズ球場という現役の野球場があるが、これは豊中運動場とはまったく別物である。
高架の豊中駅のホームから階段を降りて、北側の改札口を出て通路を歩く。地上に降りてからは高架下のパチンコ店とデンタルクリニックの合間を抜け、駅の西に向かってまっすぐに伸びる通りを進む。駅の近くには飲食店やコンビニなどもあったが、すぐに住宅地へと移り変わる。比較的新しそうな戸建て住宅やマンションもあるが、そこに混じってお屋敷も見え、これぞ阪急の築きし高級住宅地といった雰囲気だ。