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野口みずきの日本新が更新されずに16年…“元祖お家芸”日本のマラソンはなぜ表彰台から遠のいたのか?
text by
酒井政人Masato Sakai
photograph byJMPA
posted2021/08/17 11:02
2004年のアテネ五輪で野口みずき選手が金メダルを獲得して以来、日本勢は表彰台から遠のいている
男子は1991年に東京で行われた世界選手権で谷口浩美が金メダルを獲得すると、翌年のバルセロナ五輪では森下広一が銀メダルに輝いた(谷口も転倒しながら8位に入った)。1999年セビリア世界選手権では佐藤信之が銅メダル。藤田敦史が6位、清水康次が7位に入り、日本はトリプル入賞を達成している。谷口、森下、佐藤はいずれも旭化成の選手。1990年代は旭化成が“マラソン王国”という存在だった(Number Web以外でご覧になっている方は記事末尾の「関連記事」から ◆1990年代以降の日本男子マラソン・メダル獲得選手 をご覧ください)。
2000年代に入ると中国電力が活躍した。2005年ヘルシンキ世界選手権で尾方剛が銅メダルを獲得しただけでなく、油谷繁と佐藤敦之も世界大会の舞台で入賞している。しかし、現在の日本歴代十傑のなかに旭化成と中国電力の選手は入っていない。高岡寿成の2時間6分16秒(2002年)と藤田敦史の2時間6分51秒(2000年)を除けば、すべて2018年以降の記録になる。2003~2017年は記録の上で伸び悩んだ。
なぜ日本男子勢はメダルから遠ざかったのか?
世界大会のメダルは2005年の尾方が最後。日本勢がメダルから遠ざかったのには明確な理由がある。
ポール・テルガト(ケニア)、ハイレ・ゲブレセラシェ(エチオピア)というトラックで大成功を収めたスピードスターがマラソンに本格参戦するようになったことだ。2003年にテルガトが人類で初めて2時間4分台をマークすると、2008年にはゲブレセラシェが2時間3分台に突入。世界のマラソンは一気に高速化していき、日本勢はついていけなくなった。
近年はシューズの進化もあり、日本人の好タイムが続出している。今年2月のびわ湖毎日マラソンでは鈴木健吾(富士通)が2時間4分56秒の日本記録を樹立した。それでもキプチョゲが持つ世界記録(2時間1分39秒)とは3分以上のタイム差がある。
世界をリードしてきた日本の女子マラソンも……
女子は1990年代から2000年代までは日本が世界をリードする存在だった。しかし、オリンピックは2大会連続(00年シドニー・04年アテネ)の「金」以降、苦戦が続いている。2008年北京五輪は13位(中村友梨香)、2012年ロンドン五輪は16位(木﨑良子)、2016年リオ五輪は14位(福士加代子)が最高だった。