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大苦戦した日本競泳チームには何が足りなかったのか メダル3、入賞9の“厳しい結果”を招いた「ある事情」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAsami Enomoto/JMPA
posted2021/08/02 20:03
日本選手唯一の金メダリストになった大橋悠依は、2冠を達成した。全体的には厳しい結果に終わった日本競泳チーム、いつもと何が違っていたのか
日本選手権のタイムより大きく落とした選手も
泳ぎ終えたあと、しばしば同じ趣旨の言葉が選手から発せられた。
「思ったより、タイムが速かった」「突破できるラインが予想より高かった」
種目によっては予選より決勝のタイムが遅いケースも見られ、予選から力を入れてきた海外勢の姿もあった。想定しているより、上位のレースに進出できる基準が高かった面はあっただろう。
ただ、いちばんの要因は本来の力を出せなかったことではなかったか。日本新記録が少なかったどころか、自己ベストに及ばない選手、日本選手権のタイムより大きく落とす選手が多かったことを考えればそう言わざるを得ない。日本選手権よりタイムを向上させた大橋、本多が好成績を残しているだけに、そこが大きな要因と考えて不思議はないだろう。
今回の日本には何が不足していたのか
平井伯昌ヘッドコーチは、「プロセスは、成功ではありませんでした」とし、代表が決まったあと、大会までの過程に問題があったと語る。何が反省材料であったのか。平井ヘッドコーチは、コロナ下にあって代表として集まる機会が限られたこと、日本開催であったこともあり選手個々が所属先で強化する体制が中心であったことをあげる。ミーティングでも、「個人の練習になりすぎたという反省が出ました」。
競泳は個人競技だから、個々に練習に取り組み、強化することは当然のことと受け止められるかもしれないが、競泳がアトランタ五輪でメダルなしに終わったあと躍進し、大きな期待を寄せられる競技に変わった背景には、「チーム化」がある。
アトランタで、選手が個々に挑み、大舞台の重圧で力を出せなかったことから、チームとしてあたる方針を打ち出したのだ。指導者と選手や、選手間でのコミュニケーションを密にする仕組みを作り、皆で戦う姿勢を培っていった。大会時のみならず、強化の過程からこれに取り組んだ。
やがて大会で、ふだんは異なる学校やクラブで練習している選手同士で、「水温、低いよ」と後に泳ぐ選手にアドバイスをおくったりする光景が見られるようになり、選手が音頭をとって選手だけでミーティングを開くことも珍しいことではなくなった。そこは経験豊かな選手が若い選手に経験を伝える貴重な機会ともなった。ロンドン五輪のとき「(北島)康介さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかない」と結束してメドレーリレーのメダルを勝ちとったエピソードは日本競泳陣が「チーム」である一例かもしれない。