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《フェンシング初の金メダル》男子エペ団体「みんなで支え合えるのが一番の強み」だから見延和靖はユニフォームを脱がなかった

posted2021/07/31 11:07

 
《フェンシング初の金メダル》男子エペ団体「みんなで支え合えるのが一番の強み」だから見延和靖はユニフォームを脱がなかった<Number Web> photograph by Getty Images

フェンシング界初の金メダルを獲得した男子エペ団体チーム(左から加納、見延、宇山、山田)

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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 遂に悲願達成の瞬間が訪れた。

 フェンシング男子エペ団体決勝。ROCを44対36とリードした日本は、アンカー加納虹輝(23歳)が世界ランク2位のセルゲイ・ビダとの接近戦を制し、勝敗が決する45点目を奪い取った。

 フェンシング界にとって東京五輪の1つ目のメダルが、日本フェンシング史上初の金メダル。国内での知名度も競技人口もフルーレに大きく劣る「エペ」が歴史を変えた瞬間だった。

 勝利の瞬間、加納のもとに真っ先に駆け寄ったのが、男子エペのキャプテン・見延和靖(34)だった。

 2008年北京五輪で、太田雄貴が日本フェンシング選手として初めて銀メダルを獲得した。当時「メダル獲得」がフェンシング界にとっての悲願であったように、東京五輪での金メダル獲得は悲願であると同時に「使命」でもある。その大本命に躍り出たのがエペだ。

 フェンシング3種目の中で有効面に制限があるフルーレ、サーブルとは異なり、エペは頭の先から足の裏までの全身が有効面となる。さらに攻撃の優先権がないため先に突いた方に点が入り、同時に突けば両者にポイントが加算。3種目の中で最もシンプルで、世界で一番競技人口が多いポピュラーとされている種目である。

 だが「どこを突いてもいい」ことで、当然ながら体格差によっての優劣が大きくなる。手足が長い大柄な海外勢が有利とされ、それに劣る日本勢は「世界で勝てない」と言われ続けてきた。

  しかし、そこに風穴を開けたのがリオ五輪の個人戦で6位入賞を果たした見延だ。

【次ページ】 太田以来の世界ランク1位に

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