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「上野由岐子は右手では握手しない」の噂は本当だった “13年ぶり金”のソフトボール、28年ロス五輪での復活はあるか?
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byJIJI PRESS
posted2021/07/28 17:15
ライバルの米国代表を2-0で下し、13年ぶりの金メダルを獲得した。上野由岐子は6回途中に降板後、7回から再び救援のマウンドに立った
当初から上野が締めるプランだったのかと思いきや、
「後藤の顔面が蒼白だったので、自分が行くしかないと思って」
という試合後のコメントを聞いて驚いた。
無双の後藤も、オリンピックという大舞台では重圧に押しつぶされそうになっていたのか……。そう思うと同時に、新しい世代に「オリンピックで戦うこと」の意義が伝わっていることの証左でもあると感じた。
最終回の上野の投球も落ちついていた。
三者凡退。
13年越しの金メダル、それでも、13年前と勝利投手は変わらなかった。
上野こそは、「Ms.Softball」なのだ。
上野「北京の後の8年間は、真っ暗な道を歩いていた」
一夜明け、民放各局は「2028年ロサンゼルス大会での復活」を祈願している。
ソフトボールは、オリンピック政治に翻弄されてきた。現実として競技人口は少なく、メダルを争う国は限られる。北京の会見では、アメリカの記者とアメリカの監督との間で、こんなやり取りがあったほどだ。
記者「今回、日本が金メダルを獲得したことで、アメリカ以外の国でもトップに立てることを証明した。これは、競技の広がりを示すことで、将来的にプラスなのではないか?」
監督「敗れたことは、われわれにとっては到底受け入れがたいことだが、将来的な可能性が広がったとするなら、ソフトボール界の一員としてうれしく思う」
しびれるやり取りだった。
国際ソフトボール連盟の役員は必死で、準決勝には当時のジャック・ロゲIOC会長を競技会場に招き、うやうやしく接待していた。それでも、復活の芽は見えなかった。
ソフトボールにとって幸運だったのは、東京オリンピックの開催が決まったことと、ロゲ会長の後釜に座ったトーマス・バッハは縮小ではなく拡大路線を打ち出し、開催国が望む競技を実施する方向に舵を切ったことだ。北京の記憶が刻まれている日本として、野球・ソフトボールの復活は願ってもないことだった。