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競泳・大橋悠依が“40人中40位”の日本選手権を越えて金メダリストになるまで 「それが自分が水泳をやっているすべて」 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byGetty Images

posted2021/07/26 06:01

競泳・大橋悠依が“40人中40位”の日本選手権を越えて金メダリストになるまで 「それが自分が水泳をやっているすべて」<Number Web> photograph by Getty Images

25日に行われた400m個人メドレー決勝で金メダルを勝ちとった大橋悠依。挫折の多い競技生活の末に世界の頂点に立った

「最初の200を速く入ろうとしても、エネルギーを使うだけ」

 25日の決勝を前に、大橋は平井コーチと話してプランを作っていたという。

「300~350mで攻める泳ぎをすることを決めていました。300~350で『追いついている』と思われると相手も元気になります」

 今大会は午前決勝。体の動きにくい時間帯であることも考え抜いていた。

「『朝の時間なので昨日(24日の予選)より最初の200を速く入ろうとしても、エネルギーを使うだけでタイム的に変わらないだろう』と(平井)先生は言っていました」

 その言葉を受けて、スタートから予選より抑えた泳ぎが実行された。明確なプランが打ち立てられ、迷いなく泳いだことが生んだ金メダルだった。

40人中40位、最下位の日本選手権に限界を覚えた

 大橋は異例の道を歩んだ選手でもある。

 高校時代、インターハイなどに出場しているが優勝したことはなく、400m個人メドレーでは5位が最高成績であった。日本代表として活躍する選手の多くが中学、高校時代に台頭するのとは対照的だ。

 そして転機は訪れた。平井氏に、自身が指導している東洋大学に誘われたのである。

 なぜ自分が、と大橋は驚いたという。当時の実績からすれば無理もない。ただ平井氏の目には、水の抵抗の少ない、理想的なフォームをしている、と将来性が映った。慧眼である。

 ただ、大学入学後は苦しんだ。2年生で出場した2015年4月の日本選手権だ。200m個人メドレーに臨んだ大橋は、参加した40人の中で40位。最下位で終えている。いくら練習しても伸びない自分に限界を覚え、大学卒業とともに競泳をやめることを考えていた。

 だがその原因が極度の貧血にあることが判明し、体質改善に取り組むと一変する。大学3年時の2016年日本選手権400m個人メドレーは3位で表彰台に上り、脚光を浴びた。翌年には世界選手権に初めて出場し、200m個人メドレーで銀メダルを獲得。2019年世界選手権では400m個人メドレーで銅メダルを獲得するなど国際大会で活躍を見せ、日本女子の柱となっていった。25歳にして初めてのオリンピックの舞台となったのも、遅咲きであることを示している。

【次ページ】 「それがほんとうに自分が水泳をやっているすべて」

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