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菅義偉首相(72)がよく話に出す「東洋の魔女」とは何だったのか…農村育ち宰相の“苦労人神話”と“金メダル実業団チーム”って関係ある?
posted2021/07/19 17:01
text by
urbanseaurbansea
photograph by
Getty Images
国会での党首討論(6月9日)でのこと。コロナ禍での東京オリンピックについて聞かれた菅義偉首相は、なぜか57年前の東京五輪(1964年)の思い出話を始めた。
菅首相は当時まだ高校生で、いわく「たとえば東洋の魔女と言われたバレーの選手。回転レシーブちゅうのがありました。ボールに食いつくように、ボールを拾って得点を挙げておりました。非常に印象に残っています」。
今月開かれた日本選手団の壮行式でのメッセージや、赤坂迎賓館でのバッハ会長歓迎会でも「東洋の魔女」について語っている。
これはどうも不評のようだ。選手団やバッハ相手にはともかく、一国の宰相でありながら、国会で今そこにある危機としての東京オリンピックを論じることを避け、高校時代の思い出語りをはじめたのだから、それはそうなのだが、そればかりではあるまい。
まずは、そもそも「東洋の魔女」とは一体なんであったのか、口下手な菅首相に代わって筆者が説明を試みる。
実業団チームがナショナルチームを撃破したという衝撃
「大松博文監督が率いる日紡貝塚チームが一九六一年にプラハで開かれた三大陸選手権で世界一の強豪ソ連を破って全戦全勝で優勝したときに、地元の新聞は『東洋からきた台風』『東洋の魔女たち』と書いた」(『一九六四年東京オリンピックは何を生んだのか』青弓社・2018年所収のスポーツ社会学・高岡治子の小論の一節)
これが「東洋の魔女」の由来である。東京五輪(1964年)の3年前のことだ。
しかし上記の一文を読むとき、奇妙なことに気づくだろう。「日紡貝塚チーム」が「ソ連」を破ったとあるからだ。そう、一企業の実業団チームがナショナルチームを撃破したのである。しかも親善試合を含め22戦全勝の活躍ぶりであった。今日、“二刀流”大谷翔平の異次元の活躍ぶりについて「新たな野球漫画を描きにくくなった」「フィクションを超えた」などと持て囃されるが、「東洋の魔女」もまた、同様の活躍ぶりであった(もっとも、大松監督のスパルタ特訓が『アタックNo.1』『サインはV!』などのスポ根漫画を生み出すのだが)。
すなわち「東洋の魔女」とは、もともと一企業のチームの呼び名であったのだ。日紡貝塚チームの日紡とは、繊維会社大手・大日本紡績の略称でその貝塚工場に日紡代表女子バレーボールチームが編成される(1954年)。そのとき、招かれた監督が大松博文であった。それが世界を席巻し、欧州メディアのつけたニックネーム「東洋の魔女」は、日本女子バレーチームの代名詞となっていったのである。