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「竜青さんは外れてしまったので」渡邊雄太が見せるキャプテンシーの凄み…“ラストピース”馬場と八村が加わっても忘れてはならないこと
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byJIJI PRESS
posted2021/07/16 11:00
7月9日に行われたベルギー戦の第1クオーターにてドリブルを仕掛ける渡邊雄太
あのときのメンバーで今も残るのは比江島と、当時はジョージ・ワシントン大学の2年生だった渡邊だけである。なお、当時の世界最終予選のファーストラウンドの2試合の結果は以下の通りだ。
ラトビア戦 ×48-88
チェコ戦 ×71-87。
絶望しかなかった。大会直後にBリーグ開幕というビッグイベントが控えていたものの、当時は、日本バスケットボール界と世界との関係に光を見いだせる状況ではなかった。それほどまでの差が、ヨーロッパ勢との間には存在したのだ。
「田臥さんの姿を見て、僕がこんなことではダメだな、と」
しかし、そんな状況でも、心折れずに代表での試合に欠かせないものを表現し続けている選手がいた。日本バスケ界のレジェンドであり、当時のキャプテン田臥勇太だ。
どれだけ点差が離れようが、味方が良いプレーをしたり、得点すればベンチから立ち上がり拍手を送り、声をかける。苦境に立たされれば、両手を叩いて鼓舞していた。
田臥が見せたリーダーとしての行動と、今の渡邊の行動を単純に関係づけることはできない。それでも、あのセルビアの夜、渡邊は確かにこう語った。
「正直、点差が開いたときに、僕はベンチで少し気持ちが落ちていました。でも、田臥さんは一つのプレーのたびにベンチで立ち上がって、コートのぎりぎりまで出て行って、声を出していました。キャプテン自らがああやっている姿をみて、いちばん若い僕(当時21歳)がこんなことではダメだな、と。それで自分も最後までしっかり声を出そうと思いました」
コーチも変わる。スタッフも変わる。そして、選ばれる選手も変わる。それがバスケットボール界の5年という時間の長さだ。
それでも、代表チームには引き継いでいかなければいけないものが存在する。
「国を背負う覚悟」がタスキのようにつながれた時間
もしも、競技面で世界最高レベルのバスケを見たいのであれば、長い時間をかけてトレーニングを積む、NBAを始めとしたクラブチームでの戦いに目を向ければ良い。代表の試合は、バスケという競技の見本市ではない。短い時間で頭をひねって作られたコンビネーションと戦術に加えて、国を代表する情熱と誇りに触れるための機会なのだ。だから、代表の舞台では国を背負う覚悟をコートの上で戦うための力に変える取り組みが必要となる。
その意味で、5年前の予選は、日本人で1人目と2人目のNBAプレーヤーがともに世界を目指して戦った最後の舞台だっただけではない。日本代表として大切にしていくべきものが何なのか。それがタスキのようにつながれた時間だったのだ。