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【高校野球】偏差値60超の都立校主将と監督が“難病”でもグラウンドに立つワケ 「どこかに渇望があると思うので」
text by
清水岳志Takeshi Shimizu
photograph byTakeshi Shimizu
posted2021/07/03 11:00
都日野台の藤波キャプテン
「自分のミスですし、監督に『作戦が違うだろう。2番、3番と続くチャンスで流れを止めるプレーはやめよう』とも言われていました。チームに迷惑をかけてしまいました。セーフティーではなくて、普通のスクイズだったら成功したかもしれません。でも、満塁でフォースアウトもあり得る」
三塁ランナーの飛び出しが裏目に出たわけだが、高校生としては難しい判断の中でも勢いを止めるものとなったのは確かだった。このサインについて畠中監督はこのように語る。
「意表を突いた作戦でした。セーフティースクイズのサインを出されて、ついていけなかった選手がいたのが問題です。それは、自分達は何ができて何ができないかを知ることが大事ということ。課題は次に生かせれば」
病気の進行が止まったことで試合に出られる
そんな経験を積み重ねていた2年の冬、藤波君の状況が好転する。病気の進行が止まっていて、2イニングほどならゲーム出場にGOサインが出たのだ。
「病院の先生が野球をやってた方で、高校最後は出たいだろうと、理解があった」という。
そしてこの春、フリーバッティングも全力疾走も、すべての許可が出た。
春の都大会初戦の桜美林戦で、初めて公式戦の舞台に立った。リードを許した2回2アウト、先発投手交代のタイミングで自分もマスクをかぶる。バッターを1球でアウトにしてその回は切り抜けたが、次の回、滅多打ちにあった。
「自粛期間中、スピードが伸びたピッチャーで、ストレート中心と話していたんですが、いざ始まると、球が来なかったんです(笑)。変化球中心に変えればいいんですけど……自分も周りが見えなくなって、経験もなくて大量失点です。ダメダメでしたね。反省だけです」
結果は21失点、5回コールド負けだったものの、一歩目を踏みしめたのは確かだった。
畠中監督も大きな病を克服した
藤波君の起用に踏み切った畠中監督も、実は大きな病気を克服、日野台で再起した指導者だ。