甲子園の風BACK NUMBER
【高校野球】偏差値60超の都立校主将と監督が“難病”でもグラウンドに立つワケ 「どこかに渇望があると思うので」
posted2021/07/03 11:00
text by
清水岳志Takeshi Shimizu
photograph by
Takeshi Shimizu
4月、高校に入学。
「甲子園に行くぞ」
そう勇んで野球部に入ったのに、ドクターストップがかかって、野球ができないとなれば、どんな気持ちになるだろうか。
「ショックでしたよ。目の前、真っ暗のような。中学生の時、地域の軟式野球クラブでやってました。活動を終えて野球はもう、やらないと思ってました。でも高校に入学して野球をやりたくなっちゃったんです。そしたら、入学して最初の検診でひっかかってしまった」
そう語るのは都立日野台の主将、藤波匡哉捕手(17歳)だ。
彼が抱える難病は肥大型心筋症である。
「激しい運動をしたときに血液が一気に止まっちゃって、一歩間違えば死んじゃう恐れがある病気です」
本人はわりと、あっけらかんと話す。しかし心筋の異常により、心臓の機能異常をきたす病気で、競技性の強い過剰な運動は突然死につながる場合があり、禁止する必要があるものだ。実はこの病気、藤波君は中学2年生で発覚していたという。
「まだ疑いだったので、制限なしで普通に野球をやっていたんですが……それが良くなくて、けっこう悪化していました」
AEDをチェックして1人にするなよ、と
受け入れる側の畠中陽一監督(54歳)も少しうろたえた。
「厳しくやってもついてきてくれるだろうと期待していた学年のうちの一人。入部してくれたのに運動制限がかかってしまいました。私もショックだった。養護の先生は"部活は辞めさせてくれ。いつ倒れるかわからない。AEDをチェックして、1人にするなよ"と深刻でしたし、私もびくびくしながらでした」
でも藤波君は退部なんて頭になかった、と監督は振り返る。プレーはできないが、ユニフォームを着てシャドウスローイングや素振りをして、フォーム固めを地道に繰り返した。2年夏までは試合に出ない、ランニングメニューもしないという部活生活だったが、頑張っていたのでやりがいを見つけてほしかった、と監督は言う。