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野口みずき「“父”と手にした相棒」~アテネ五輪金メダルの秘密~
posted2021/07/03 07:00
text by
高川武将Takeyuki Takagawa
photograph by
Nanae Suzuki
「マラトンの戦士みたいに本当に死ぬんじゃないか。でも……死んでも悔いはない」
2004年8月22日、アテネ五輪の女子マラソン。野口みずきはそんな悲壮な決意をもってスタートラインに立っていた。
紀元前490年、マラトンの戦いでペルシャ軍を撃退したアテネ軍の兵士フィリピディスは、勝利を伝える伝令としてアテネまで走った。その距離約40km。だが、勝利を伝えた彼はそこで力尽き、息絶えた――。マラソンの起源とされる伝説を野口が連想したのは、コースがほぼ同じだったからというだけではない。
夕方6時のスタート時点で気温は35度、焼けつくような日差しで体感温度は40度を超えていただろう。選手たちはウォーミングアップも不十分なままレースに臨み、当時世界記録保持者のラドクリフ(英国)を始め16人が途中棄権していった。17年前の、五輪史上稀にみる灼熱地獄のレースを、野口は昨日のことのように振り返った。
「からっからなんです。地面も空気も何もかも。本当にレースをやるのかな、と思うくらい暑かった。10km過ぎて15kmくらいで吐き気に襲われて。でも、目の前にテレビクルーの車がいて、ここで吐いたら大変なことになると我慢したんです。我慢して走っている間の記憶はないんですよ。得意な上り坂に入って25kmでロングスパートしたところから、少し体調が戻ってきました。手前に給水所があって、何が何でも給水を取ろうと先頭に出て、思い切りエンジンをかけたんです。それでも何人かついてきたので、27、28kmでもう一度スパートしたら、あとは一人旅という感じに」