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「ギリギリだと日本は五輪史上に汚点を残してしまう…」“幻の東京五輪”、2年前の夏に中止を決断させた男の正体 

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近藤正高

近藤正高Masataka Kondo

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posted2021/06/16 11:03

「ギリギリだと日本は五輪史上に汚点を残してしまう…」“幻の東京五輪”、2年前の夏に中止を決断させた男の正体<Number Web> photograph by KYODO

副島道正伯爵。1871年生まれ。東京五輪を招致すべく1934年からIOC委員を務めた

 1940年大会の場合、政府や軍部は日中戦争を境にますます消極的になる。これについては、オリンピックを紀元2600年記念事業の一環と位置づけたために、《日本の軍国主義化が急進するにつれ、オリンピックに内包される国際的、平和的な理念と、「紀元二千六百年」の持つ国家主義的性格との矛盾が激化し、軍部だけでなく政府内部でも、東京オリンピックの意義を認める空気が急速に希薄になって》いったとの指摘もある(橋本一夫『幻の東京オリンピック』)。

 日本におけるナショナリズムと、オリンピックの理念との矛盾という意味では、日中戦争の始まる前、1937年3月に代議士の河野一郎が初めて国会で東京オリンピックに異議を唱えた際、理由の一つに「開会宣言」を挙げたのは象徴的だ。

 当時のオリンピック憲章では、開会宣言は開催国の君主または主権者が行うものとされていた。これに従えば、東京大会では天皇が開会宣言をすることになるが、河野は日本の国情からすればそれは不可能ではないかと疑問を投げかけたのである。何しろ、戦前の日本において、国の主権者である天皇は現人神(あらひとがみ)であり、憲法でも「神聖にして侵すべからず」とされていた。したがって、オリンピックのような公開の場で天皇が言葉を述べることなど考えられず、その声がマイクに乗ることさえ許されなかった。オリンピック憲章の規定がそれに真っ向からぶつかることはあきらかであった。

 東京五輪は同じく1940年に予定されていた札幌冬季五輪と東京万博とともに中止にいたったが、これら国際イベントが開催されるはずだったこの年には、紀元2600年の記念行事が植民地を含む日本全国で盛大に実施されている。11月10日には皇居前広場で政府主催の紀元2600年奉祝式典が天皇臨席のもと挙行されたが、このときも、近衛首相の「寿詞(よごと)」(式辞に相当)を受けて昭和天皇が述べた勅語は、ラジオ中継ではカットされた。

(【続きを読む】<幻の東京五輪>中国が「戦争を仕掛ける日本に五輪開催地の価値はない」、IOC会長は何と答えた? へ)

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