濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
「いつか、傷だらけの背中でウェディングドレスを」 18歳の女子レスラー・鈴季すずが大流血を「嬉しい」と語る理由
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byNorihiro Hashimoto
posted2021/05/12 11:00
ハードコア七番勝負、第4戦。“デスマッチのカリスマ”葛西純とも渡り合った鈴季すず
デスマッチをやるため中学卒業、即入門
負けたのは悔しい。しかしハードコアマッチで凶器攻撃を敢行し、やり返され、アザを作り血を流すことが嬉しくて仕方なかった。だから余計に批判がこたえた。好きでやっていることなのに、なぜ「かわいそう」などと思われなくてはいけないのか。
ハードコアマッチは誰にやらされているのでもない、自分が望んだことだ。彼女はこれをやるために、中学を卒業してすぐ宮崎から出てきたのだ。
テレビでたまたま見たプロレスに惹かれた。DVDやネットで映像を見てさらにハマる。特にデスマッチに心を奪われた。
「あんだけ血を流しても生きてるって凄くないですか? やられてもやられてもやり返す気持ちの強さもある。人間の底力を感じるんです。デスマッチファイターってカッコいいなって」
デスマッチを主軸の一つとする大日本プロレスやFREEDOMSの地方大会があると、親に連れて行ってもらった。九州だけでなく広島まで足を運んだこともある。気がつけば両親もプロレスファンになっていた。
流血のハードコアマッチに憧れる理由
人生を変えたのは、アイスリボンの世羅りさがデスマッチで闘う姿だった。それまでデスマッチは男だけのものだと思っていたが、そうではなかったのだ。私もやっていいんだ、と思った。
「よし私もやる、やれる、やろう! そう思って履歴書を会社(アイスリボン)に送りました。中学生の時ですね。で、卒業を待って入門しました」
子供も見に来るアイスリボンにデスマッチやハードコアはふさわしいのか否か。答えはすでに出ている。先駆者である世羅は別興行でデスマッチに取り組んできたが、アイスリボンで藤本つかさと電流爆破マッチを行なう流れになった。反対意見もあり藤本は拒否。そこで声を上げたのが、練習生時代のすずだった。自分は世羅のデスマッチを見てアイスリボンに入ったのだ、そういう人間もいるのだと。それを聞いて、藤本は爆破マッチに臨むことを決めた。以来、藤本は「アイスリボンは夢叶うリングでありたい。選手に夢を諦めさせたくない」と語っている。
18歳でハードコアマッチはいかにも早いように思える。しかしすずに言わせれば「私はなんでも早いんです。そのペースが自分に合ってる気がします」。2018年春に入門し、その年の大晦日にデビュー。昨年夏に17歳で団体シングル王者となった。
防衛4回。取締役選手代表の藤本に敗れるまで王者としての役目をまっとうし、その上でハードコア七番勝負をスタートさせた。やるべきことはすべてやってきたのだ。小気味いい動き、喜怒哀楽すべてMAXの感情表現などどれをとっても一級品。だからこそ、デスマッチのトップたちが七番勝負の相手を受けてくれた。