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食べたものを吐けば、もう苦しい減量をしなくていい… マラソン・原裕美子が背負った“食べ吐きの代償”
posted2021/04/30 06:02
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
AFLO
2005年、初マラソンの名古屋国際女子マラソン(2012年より名古屋ウィメンズマラソンとして継承)で2時間24分19秒の好記録で優勝。原裕美子は華々しくデビューレースを飾った。同年の世界選手権代表に選出され、そこでも6位入賞を果たす。その後も大阪国際女子マラソン優勝をはじめ輝かしいキャリアを築いた。
だが、その裏には苛酷のひとことではおさまりきらないほどの日々があった。
今年3月、厳しい体重管理、その後患った摂食障害、そして万引き(のちに窃盗症であったことが診断で判明)と逮捕――当時と現在を綴った『私が欲しかったもの』(双葉社)を出版した。
原が同書を刊行した思いを語る。
「読み返してみて、いろいろな感情が湧いてきました。7度目の逮捕後の勾留中、自殺を試みた私に(担当弁護士の)林(大悟)先生が、『病気を克服することでたくさんの人に勇気を与えられるよ』と言葉をかけてくださり、そのとき『この病気を絶対に治すんだ』と誓いました。また、勾留中に読んだと著者の体験談が綴られたある本に胸を打たれ、『私も自分の経験をこういう風に言葉で伝えていきたい』 と思うようになりました。その時期が来たと思いましたし、批判をいただくことも覚悟の上でした。批判される怖さよりも、私が思いを伝えたい人たちにこの本を届けられる喜びが強かったです」
食べ物を見れば『食べたい食べたい』
高校時代まで陸上競技に懸命に取り組んでいた原は2000年、京セラに入社する。待っていたのは、厳しい練習と、徹底した体重管理であった。
入社時、163センチ、49キロであった原に、大森国男監督はベスト体重として44キロを設定。1日に4回以上体重計に乗り、0.1キロでも増えていれば指導にあたっていた監督らから「怒鳴られた」。
なかなか体重が落ちなかった原は、飲み物や食事の量、もちろん食事のメニューも徹底的に管理された。
「食べたいものを我慢していので、食べ物を見れば『食べたい食べたい』。人が食べているのもうらやましい、でも自分は体重を減らさないといけない、という状態でした」