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大学入学後に「我流の経験を“ポイ”できた」 アーチェリー・武藤弘樹の“迷いをなくしていく”方法
posted2021/05/05 06:00
text by
後藤茂仁(Number編集部)Shigehito Goto
photograph by
Shunsuke Imai
「最終選考会はとても緊張しました。実感はまだ湧いてませんが、個人、団体とも金メダルを獲るのが目標なので、頑張りたいです」
3月20、21日に行われた東京五輪最終選考会で3位入賞。代表の座を無事射止めた。
アーチェリーとの出会いは中1 。地元でも有数の進学校を目指し小学校までは「勉強ばかりだった」が、幼いころからスポーツ好き。中学では運動部に入ろうと、部活見学で見た先輩の「張り詰めた緊張感みたいなものに惹かれて」アーチェリー部に入ることを決めた。
中2で全国大会に出場。高校に進むと高1で初めての世界大会となる世界ユースに出場
するが、本人は「記念受験でした」と振り返る。
「絶対に世界大会に行きたいという気持ちもなく、運よく勝って出場したという感じで。本番の大会では自分の実力を出し切れない、不完全な感じで終わってしまったんです」
その翌年、高2で今度はユース五輪に出場。
「そこで勝つ楽しさと負ける悔しさをちゃんと味わって、そこをモチベーションに高3の世界ユースまで続けられたのは大きかった。このころに、大学以降もアーチェリーを続けようと気持ちが固まりました」
「どんなに練習をしても、点数が出なくて」
同じく高3でナショナルチーム入りも果たすが、大学入学直後に挫折を経験する。
「どんなに練習をしても、試合でも練習でも点数が出なくて。そこで1年生の秋にフォームを直そうと決めました。その時まで我流の経験を大事に突き詰めていっていたんですが、この時にやっと“ポイ”できた。コーチの意見も聞きながら、基本をあらためて見直して、あとはそれを身体に覚えさせるために練習を他の人の2~3倍、徹底的にやりました」
そうした経験はメンタル面も強くした。
「自信を持ったというより、迷いをなくしていったという感じです。今回のコロナ禍でも、もう一回作ってきた射型を見直しました。いろいろ試して、でも結局修正しなかったんです。どっちがよいか考え抜いて元に戻ったというか。それで迷いはなくなりましたね」
その目は言葉どおり真っ直ぐに、夢の舞台の頂点を見据えていた。
武藤弘樹Hiroki Muto
1997年6月26日、愛知県生まれ。トヨタ自動車所属。東海高1、3年時に世界ユース、2年時にユース五輪出場。高校生でナショナルチーム入り。3月の最終選考会で3位となり五輪代表に。175cm、76kg。