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フィリピン代表とデフ(聴覚障害)バスケ日本代表…三遠の2人の新人Bリーガーが抱く、特別な使命感とは 

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山田智子

山田智子Tomoko Yamada

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photograph byTomoko Yamada

posted2021/04/09 17:00

フィリピン代表とデフ(聴覚障害)バスケ日本代表…三遠の2人の新人Bリーガーが抱く、特別な使命感とは<Number Web> photograph by Tomoko Yamada

チームでは同期となる2人だが、津屋(左)は98年生まれの22歳、ラベナ(右)は96年生まれの24歳だ

津屋 比江島さんは僕の高校(洛南)の先輩だよ。

ラベナ そうなんだ!じゃあ、津屋も僕のアイドルだね(笑)。

――Bリーグは「BREAK THE BORDER」をスローガンにスタートしました。ラベナ選手は国境を、津屋選手は聴覚障害という壁を超えてBリーグに乗り込んできて、バスケを通じてそれぞれの世界をつないでいる。その責任や誇りについてどのように感じていますか。

ラベナ 実はフィリピンを代表して戦っているという意識はそれほどないんです。ただ、こうしてBリーグでプレーする機会をいただいて、フィリピンの選手だけでなく、アジアの選手のためにドアを開けられたらとは思っています。多くの人が自分のプレーを見て元気になってほしいですし、Bリーグのアジア枠を活用してこうしてプレーできるチャンスを掴めることを知ってほしいです。Bリーグでプレーする道を選べば困難なことがあると分かっていたのですが、難しいことにチャレンジし、それを乗り越えてこそアスリートとして強くなれると考えました。快適な領域を超えてチャレンジしていく姿を見てもらいたいです。

障害があってもトップリーグで活躍できる

津屋 デフ(=聴覚障害)だけでなく、色々な障害を持っている方に、「不可能じゃない」ということを伝えたいと考えています。障害があっても日本のトップリーグで活躍できるということを証明したいし、自分がバスケで努力している姿を見てもらうことによって、スポーツだけではなく、何かに取り組む勇気や壁をぶち破るきっかけを与えられればと思います。

 実際にプロになってから、たくさんの反響がありました。秋田ノーザンハピネッツのスポンサーをされている焼肉店のオーナーのお子さんが障害をもっていて。その方から「子どもが何かやりたいと言った時に止めさせようとしていた自分を怒りたい。津屋くんのプレーを見て、もし子どもが何かにチャレンジしたいと言ったら存分にやらせてあげようという気持ちに変わった」と言ってもらって、まさにそれは自分がやりたいと考えていたことだったので、もっと頑張らないとという気持ちが強くなりました。

――津屋選手のご両親はバスケをすることに反対することはなかったのですか。

津屋 なかったですね。バスケは接触プレーがあるので危ないですし、実際にぶつかって補聴器が壊れることもあったのですが、高額な修理代を払うことになっても親からやめろと言われることは一度もなかったです。むしろ父からは「どうせやるなら、トップ選手になれよ」と言われました。

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