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フィリピン代表とデフ(聴覚障害)バスケ日本代表…三遠の2人の新人Bリーガーが抱く、特別な使命感とは
posted2021/04/09 17:00
text by
山田智子Tomoko Yamada
photograph by
Tomoko Yamada
今シーズンの三遠ネオフェニックスには、特別な使命感を胸にプロの舞台へとデビューした、2人のルーキーがいる。1人はバスケットボールが国技のフィリピンで3年連続で大学チャンピオンに輝き、次世代のフィリピン代表を担う存在と期待されるサーディ・ラベナ。もう1人は生まれつき聴覚に障害を持ちながら、キャプテンとして東海大学を昨年インカレ優勝へと導いた、デフバスケットボールプレーヤーでもある津屋一球だ。同じシューティングガードとしてプレーする2人に、今シーズンのプレーと自身が背負うもの、自身が描く未来を、対談で語ってもらった。
――プロを目指すようになったのはいつですか。
サーディ・ラベナ(以下、ラベナ) 明確に目標として考え始めたのは高校2、3年生くらいです。それまでは試合の残り45秒で少し出たり、全く出場できなかったり。得点もほとんど取れない時期が続いていました。高校2年生の終わり頃から、何とかしないといけないなと真剣に考え始めて、夏休みも全部使ってハードに練習しました。3年生で国内の個人ランキングで2位につけられるまでになったので、段々とプロを意識するようになりました。
津屋一球(以下、津屋) Bリーグができてからなので、サーディと同じで高校3年くらいですね。それまでは日本代表になりたいという気持ちはありましたが、Bリーグができたことでプロ選手になりたいという明確な目標ができました。
プロでも活きる大学ナンバーワンの経験
――プロになろうと決意されたのも同じ頃なんですね。ラベナ選手はアテネオ・デ・マニラ大学でフィリピンのインカレにあたるUAAP 選手権で3連覇。津屋選手は東海大学4年次にインカレで優勝と、大学でNo.1になっているという共通点があります。大学ではどのようなことを学びましたか。
ラベナ フィリピンはバスケット熱が高いので、すごく注目を浴びるんですね。特に自分の場合は、父が元プロ選手で、現在もコーチをしていますし、兄も代表選手として活躍していて、高校、大学でもかなり活躍していましたので、周りからのプレッシャーを相当感じていました。その中でも、しっかりと日々の練習に集中すること。1日1日、1回1回の練習を大切にして、少しでも良いプレーヤーになれるように努力していく姿勢を大学時代に一番学びました。