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【センバツ初出場】“離島の大崎高校”の奇跡 「犯罪者のような扱いでした」2度の“不適切な指導”から復活した監督
posted2021/03/18 18:21
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
KYODO
まるでおとぎ話だ。長崎県の離島、大島の県立大崎高校が昨秋の九州大会を制し、この春、選抜高等学校野球大会に初出場する。半島と小さな島々からなる西海市の高校としては史上初の甲子園となる。もちろん、全部員29名はいずれも長崎県出身だ。驚くのはそれだけではない。1人の監督が、わずか2年半で、部員5名の弱小チームを一気に生まれ変わらせたのだ。監督の名前は、清水央彦。清峰(長崎)のコーチおよび部長として春夏計4度甲子園に出場し、佐世保実業(長崎)では監督として2度甲子園に導いた。清水は野球関係者の間では伝説的な名指導者だ。しかし、「不適切な指導」があったとされ、2度、学校を辞めている。「大崎高校物語」は大崎だけでなく、そんな清水の再生の物語でもある(全3回の1回目/#2、#3へ)。
――じつは、私はもう、清水さんが高校野球の世界には二度と戻ってこないのではないかと思っていました。清峰、佐世保実業と2度までも、いわゆる「行き過ぎた指導」があったと見なされ、学校を追われました。
清水 絶対に戻りたくないという思いも半分、ありましたね。
――もう半分は。
清水 戻らないといけないという思いです。
――戻ったら、また、過去をほじくり返されるとは思わなかったのですか。
清水 あったことをなかったことにするつもりはまったくないので。
「佐世保実業を辞めたとき、犯罪者のような扱いでした」
――2013年秋に佐世保実業を辞め、翌年からは西海市の職員になっています。その経緯を教えてください。