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壮絶キャリアを経て“99%不可能な”五輪代表に… 自転車ロードレース増田成幸が“不死鳥”と呼ばれる理由
text by
赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph byUtsunomiya Blitzen
posted2021/03/14 17:01
自転車ロードレース日本代表をつかみ取った増田成幸(2020年に撮影)
国内が主戦場ではポイントが稼げない
選手がレースで獲得するポイントは国際自転車競技連合(UCI)に定められたもので、これに日本自転車競技連盟(JCF)が独自の係数を乗じたポイントが代表選考ランキングに加算される。この係数にはレースのランクによって大きな格差があり、トップクラスのワールドツアーの一部やツール・ド・フランスなどのグランツールならUCIポイントの最高10倍、ヨーロッパツアーは2~4倍。一方で、多くのアジアツアーは係数1.0でまったくポイントが増えず、日本国内の全日本選手権は0.5倍と、逆にポイントが半分しか加算されない。
海外のチームでポイントを稼ぐチャンスに恵まれた新城や中根に比べると、国内を主戦場とする増田が背負ったハンデは小さくなかった。しかも、コンチネンタルチームの宇都宮ブリッツェンはUCIの定めたカテゴリーに阻まれ、ワールドツアーに参加することさえできない。ヨーロッパのツアーに出場するにも、その都度、主催者と粘り強く交渉を重ねる必要があった。
「コロナで出られるレースがなくなって」
自分の置かれた状況は、増田も承知の上で代表争いに臨んでいた。が、コロナ禍の影響だけは、どうにもならなかった。
増田が2位にいた昨年3月、ツール・ド・とちぎがコロナ禍で中止になった。以降、5月のツアー・オブ・ジャパン、6月の全日本選手権、10月のツール・ド・北海道と、ポイントを稼げるUCIレースも次々に中止。オリンピックの1年延期により、代表選考期限も当初の5月31日から10月17日に延ばされたが、それまでに日本国内のUCIレースが再開されるかどうかはわからない。
「5、6、7月は本当に辛かった。コロナで出られるレースがなくなって、いくらトレーニングをしても肉体を磨いても、それを発揮する場がない。オリンピックを目指して頑張ってきたのに、自分はどうしたらいいんだって、ずっとやり場のない気持ちでいました」
その間にも、ヨーロッパの自転車界は着々とレース再開に向けて動き始める。この状況を打開するべく、増田は7月、日本スポーツ仲裁機構に選考基準の見直しを申し立てた。
「何とか、この不公平な状況を訴えたかった。結局は認められませんでしたけれども」
当時は、清水裕輔監督やチームメートたちに不安を打ち明けているうち、ふと涙が溢れ出したことも何度かあったという。