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壮絶キャリアを経て“99%不可能な”五輪代表に… 自転車ロードレース増田成幸が“不死鳥”と呼ばれる理由
 

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赤坂英一

赤坂英一Eiichi Akasaka

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photograph byUtsunomiya Blitzen

posted2021/03/14 17:01

壮絶キャリアを経て“99%不可能な”五輪代表に… 自転車ロードレース増田成幸が“不死鳥”と呼ばれる理由<Number Web> photograph by Utsunomiya Blitzen

自転車ロードレース日本代表をつかみ取った増田成幸(2020年に撮影)

娘が「パパは一番になるよ」と

「あのころはすごく孤独を感じていました。この辛さだけは誰にも理解してもらえない。当事者である自分にしかわからないんだと、ずっとそういう孤独感に苛まれていた」

 そんな増田の荒んだ心を癒やしてくれたのは、幼稚園に通っていた一番下の娘だった。お絵描きの時間に富士山と五輪マークの絵を描いて「オリンピック行くよ」「パパは一番になるよ」と笑いかけてくる。そんな末娘の無垢な笑顔が、天使のように見えたという。

 そうした最中の8月、ついに3位の中根が増田を逆転した。中根はフランスのワールドツアーでUCIポイント4点を獲得。×係数6で24点、計282点となり、274.8点の増田を7.2点上回って2位に浮上したのだ。

「何かレースに出なければいけない。ただ指をくわえて代表選考を眺めていて、カヤの外に置かれたままでは、納得できない。それでマレーシアや台湾、インドネシアや韓国と、出られるレースを探し回ったんですけどね」

 しかし、そうした国々のレースもほとんど中止。唯一、10月に開催されるタイのレースも、飛行機が大幅に減便された影響で2~3週間のキャンセル待ちを強いられた。何とか入国できても、レースの前にタイ政府指定のホテルで2週間完全隔離されるという。

絶望的な状況で得たバスクでのチャンス

 絶望的な状況の中、スペイン・バスク地方のレース〈プルエバ・ビリャフランカ・デ・オルディシア〉が最後の候補として残った。増田が何度か出場したことのあるレースで、コロナ禍によって7月末の開催が10月12日に延期されていたのだ。海外チームの招聘に苦慮していた主催者はブリッツェンの要望を受諾。宇都宮のスポンサーや地元企業が追加の遠征資金を提供することも決まった。

「やっとレースに出られる。そこから、自分自身に、1枚2枚とギヤがかかりました」

 このレースには中根も出場し、期せずして直接対決が実現する。加算されるポイントは10位以内でUCIポイントの4倍、25位以内で3倍。ランキングで増田が中根を上回り、代表の座を掴み取るには、このレースで中根の上位に入り、なおかつ25位以内でフィニッシュすることが絶対の条件だった。

「前評判はみんな散々でした。ワンチャンスに賭けてスペインまで行ったところで、玉砕して帰ってくるんじゃないかと。でも、この最後のレースに出られずに代表選考が終わっていたら、悔しさを一生引きずったでしょう。走りさえすれば、結果が良くても悪くても、死ぬまで後悔せずに生きていけると思った」

【次ページ】 これまで、3度の大きなけがを経験している

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