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壮絶キャリアを経て“99%不可能な”五輪代表に… 自転車ロードレース増田成幸が“不死鳥”と呼ばれる理由
text by
赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph byUtsunomiya Blitzen
posted2021/03/14 17:01
自転車ロードレース日本代表をつかみ取った増田成幸(2020年に撮影)
これまで、3度の大きなけがを経験している
総距離165kmで、上りの多い周回コースを5周。しかも当日は雨が降り、最高気温9℃という寒さだった。その上、序盤から激しいアタックがかかり、アシストしてくれるはずだった6人のチームメートは2周回で脱落し、その全員がリタイアしてしまう。
増田は、最後の最後につかんだチャンスで、残り140km超をたったひとりで走りきらなければならなくなった。しかも、同じ先頭集団の中には、ヨーロッパのプロチームの一員として出場し、自分より7歳若い中根がいる。
「中根選手の存在をまったく意識しなかったかと聞かれれば、それはやっぱりウソになる。でも、そういうライバルに気を取られて自分の走りに集中できなかったレースは、結果も良くない。だから、俺は俺の走りをするだけだと、そういう気持ちでした」
増田はこれまで、3度の大きなケガを経験している。最初は若いころ、トレーニング中に大型犬と接触し、鎖骨と骨盤を骨折。2度目は2010年、人力飛行機のパイロットとして飛行距離の世界記録に挑戦中、墜落して腰椎圧迫骨折の重傷を負った。日本大学時代に日本記録を樹立した研究室の活動にOBとして参加した際の事故だった。3度目は2011年10月のJプロツアー最終戦で落車し、右半身の鎖骨や肩甲骨など5カ所を骨折。一時は選手生命を危ぶまれ、治療とリハビリに約3カ月を要した。
その後、一度はヨーロッパのプロチームと契約しながら、コンディションを崩して帰国。宇都宮に復帰すると、今度は2017年に甲状腺ホルモンが過剰に分泌するバセドー病にかかっていることが判明した。さらにその年9月、無理を押して出場したツール・ド・北海道で、またしても落車による鎖骨骨折が重なった。
自転車界で付けられた異名は「不死鳥」
しかし、そのたびに増田は蘇った。宇都宮のファンと自転車界で付けられた異名は「不死鳥」。何度も絶望的な状況をかいくぐってきたフェニックスの走りは、雨の降りしきるスペイン・バスク地方でも健在だった。
終盤、中根がついに先頭集団から遅れた。が、最終周回の5周目、増田も先頭集団から脱落する。雨と寒さに体温を奪われ、手先、足先がかじかみ、身体が思うように動かない。増田は先頭の後ろの5人のグループに入り、先頭交代しながらついていこうと試みた。
無線のイヤホンから、清水監督の声が飛び込んできたのは、そのときである。
「よおし、いいぞ! そのまま行け! そのグループにいれば25位以内に入れる!」
もうほとんど力は残っていない。それでも、増田はペダルを踏み込んだ。いったい、疲労困憊だった身体のどこにそんなエネルギーが残っていたのか、自分でも想像がつかない。ついにフィニッシュラインを超えたときは、自分が20位に入ったことも、中根を上回ったこともわからなかった。