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「何年経っても変わることはない」ベガルタ復帰の手倉森監督が明かす“3.11の記憶”と、“田中将大投手との縁”
posted2021/03/11 17:00
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph by
Toshiya Kondo
当事者たる彼らにとって、実は「10年」という「節目」は大きな意味を持っていない。
ベガルタ仙台の手倉森誠監督は、1年前の3月11日にこう話している。
「あれから9年、当たり前と思っていたものが、本当にかけがえのないものだと痛切に感じさせられた。被災地に居て震災を経験して、多くの尊い命が失われたことを知っている自分は、サッカーをやらせてもらっていること、生かされていることに感謝して、逞しく懸命に生きなければいけないと思うんですよ」
「あの日感じた思いは、絶対に忘れることはない」
2年前の3月11日にも、3年前の3月11日にも、手倉森監督は同じ話をしている。2011年3月11日の東日本大震災の記憶は、「何年経っても変わることはない。あの日感じた思いは、絶対に忘れることはない。形のあるものが作り直されただけでは、復興とはならないのでしょうから」と言う。
チーム最年長の関口訓充も、指揮官の思いに寄り添う。11年当時はプロ7年目の中堅選手だったが、21年はJ1、J2の通算出場が450試合に迫る35歳のベテランである。
「この時期になると、また1年経ったんだなあと思います。自分が頑張ることで被災地の皆さんを少しでも勇気づけることができたら、という気持ちが改めてわきあがるというか。違うクラブでもプレーしてきましたけれど、高卒で入ってベガルタ仙台で育った自分が頑張ることで、被災地のことが広く伝わっていくところがあるんじゃないか、と思ってプレーしてきました」
34歳の富田晋伍も、11年当時を知る選手だ。仙台ひと筋17年目のボランチは、在籍年数で関口を上回る。
「見た目というか街の状況としては復興していますけど、まだまだ苦しんでいる人はたくさんいると思います。そこは忘れちゃいけない。このクラブの選手は、そういう人たちの思いを背負って戦わなきゃいけないと思うので」
被災地のために、被災者のために、仙台のために、宮城のために、東北のために、という思いは、ベガルタ仙台というクラブのDNAとして受け継がれてきたものだ。「被災して苦労している人たちが、僕たちのことを応援してくれている。その気持ちに応えたい、という思いはずっとあります」と関口は話す。
8年ぶりに手倉森監督が復帰へ
しかしながら、被災地から離れた地域では東日本大震災の痛みが鈍麻していく、という現実がある。だとすれば、震災の記憶をもう一度広く発信するきっかけとして、「10年」という区切りを生かすという考え方があってもいい。
奇しくもそのタイミングで、当時のメインキャストが還ってきた。13年限りでチームを離れていた手倉森監督が、8年ぶりに采配を振ることになったのである。