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「何年経っても変わることはない」ベガルタ復帰の手倉森監督が明かす“3.11の記憶”と、“田中将大投手との縁”
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byToshiya Kondo
posted2021/03/11 17:00
ベガルタ仙台のホームスタジアム・ユアテックスタジアム仙台。サポーターの熱い声援が響く
3月10日の第3節は、サガン鳥栖とのアウェイゲームだった。スペイン人のイサック・クエンカが開幕から戦線離脱しており、複数ポジションをこなしていた関口も川崎F戦で負傷交代していた。開幕早々にして、メンバーのやり繰りを迫られていた。一方の鳥栖は開幕連勝を飾り、2試合連続無失点を記録している。難しい試合になることは想定内だった。
それにしても、0対5の敗戦は重い。
0対3とされた前半終了間際に、PKを獲得した。この一撃が決まっていれば、試合の行方は違っていたかもしれない。システムを変更した後半にも、決定的な場面を作り出した。「チャンスの数ではさほど変わらないような状況だけど、向こうはすべてうまくいって、ウチはすべてうまくいかなかった」という手倉森監督の肌触りは、主観的なものではなかったはずだ。
いずれにせよ、開幕から3試合を終えたポジションは1分2敗の17位である。得失点差マイナス9はリーグワーストだ。
「2試合連続でこういう結果になれば、自分たちが力不足なんだという考えになりがちだけれど、こういう状況でも敗戦をしっかり受け止めて、折れずにやっていくしかない。(川崎F戦と鳥栖戦での)2つの負けは、シーズンを通して返していきたい」
鳥栖戦後の手倉森監督はこう語った。表情に怒りの感情が滲むことはなく、言葉が悔しさで震えることもなかった。
もちろん、心中は穏やかでないはずである。ただ、前向きなメッセージが印象的な指揮官は、結果が出ないことも覚悟している。2試合連続の敗戦からチームを立て直すシナリオを、すぐに実行に移すことができるはずだ。
「10年目」「3月11日」ではなくても“変わらない思い”
東日本大震災にフォーカスしたテレビ番組やインターネットサイトの記事は、3月11日を境におそらく減っていく。去年もそうだったし、一昨年もそうだった。10年という区切りは発災当日への思いを強めたが、3月12日以降にも同じ熱量を全国的に期待するのは難しい。
しかし、ベガルタは違う。
3月12日も、13日も、14日も、1カ月後も、2カ月後も、3カ月後も、半年後も、手倉森監督と選手たちは「被災地のために、被災者のために」という思いを育んでいく。
自らに言い聞かせるように、手倉森監督は語る。