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“藤井聡太の大逆転”で思い出す 将棋史に残る伝説の逆転劇<7選>「羽生善治対渡辺明、100年に1度の大勝負も」 

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相崎修司

相崎修司Shuji Sagasaki

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2021/02/17 17:01

“藤井聡太の大逆転”で思い出す 将棋史に残る伝説の逆転劇<7選>「羽生善治対渡辺明、100年に1度の大勝負も」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

準決勝と決勝を大逆転で勝ち、3度目の朝日杯優勝を果たした藤井二冠

(6)「天童は遠いなぁ」100年に一度の大勝負【2008年】

 永世名人となった谷川だが、時代は着実に動いていた。十七世名人誕生の翌年に谷川から佐藤康光が名人を、藤井猛九段が竜王を奪取して、いよいよ将棋界はいわゆる羽生世代が中心となっていく。名人位は佐藤からさらに丸山忠久九段、森内俊之九段へと移っていくが、いずれも羽生と同世代の棋士である。90年代の将棋界が谷川と羽生の角逐の時代なら、00年代は羽生世代同士の激闘又激闘が行われた時代だろう。

 その状況に風穴を開けたのが、羽生に続く中学生棋士である渡辺明名人だ。04年、当時六段の渡辺は森内から竜王を奪取して初タイトルを獲得、以降4連覇した。

 5連覇目に挑戦者として姿を現したのが羽生である。当時、羽生の竜王獲得は通算6期。竜王戦は連続5期獲得か通算7期獲得で「永世竜王」の資格が与えられる。このシリーズは史上初の「永世称号を相争う戦い」となった。そして羽生はこれまでに竜王を除く全てのタイトル(当時)の永世称号を獲得しており、前人未到の「永世七冠」もかかっていた。

 「100年に一度の大勝負」と呼ばれたシリーズは、羽生がいきなりの3連勝。フランス・パリで行われた第1局は「将棋観が覆された」と渡辺に言わしめるほどの芸術的な勝利で、しかも第2局、第3局と進むにつれて完勝度合いが増していった。第3局の直後に「天童(最終第7局の予定地)は遠いなあ、フランスより遠い」と渡辺はこぼしている。

 もはや永世七冠は間違いなしと誰もが思った。その瞬間を押さえようと現地に駆けつけた報道陣はのちの藤井聡太フィーバーに匹敵するものだった。はたしてその舞台となるかの第4局はまたしても羽生の勝勢となる。

 渡辺自身も敗勢を悟っていたが、最終盤で奇妙な順を見つけた。なんと自玉が打ち歩詰めで奇跡的に逃れているのである。直前の指し手に、羽生が時間を使ったことからその考慮中に発見したという。羽生が間髪入れずに指していたら渡辺が発見できていたかは永遠の謎であろう。

 ここで流れが変わった。続く第5局、6局も渡辺が制して、決戦の地は将棋の街・天童へ。これまでの将棋界において、七番勝負における3連敗4連勝は一度も達成されたことが無かった(3連敗から3連勝は2例あったが、いずれも追い付いた側が最終局で敗れている)。色々な意味で舞台設定が整い過ぎたとも言える一局になった。

 大一番の1日目は互角で推移したが、2日目に入ってまず渡辺側に失着が出る。「対局前に『ここまで来て負けたらダメージが大きいだろうな』と思っていたが、それが現実になりつつある」とは後日の渡辺の回顧だ。

 ところが羽生も決め手を逃して二転三転。控室でも、もう固唾を飲んで見守るしかない。当時はまだオンライン上の動画中継はなかったが、指し手が再現される棋譜中継はあった。その回線はパンク寸前だったという。

 2008年12月18日午後7時30分。羽生が頭を下げて、将棋界史上最大の逆転劇とも言える「100年に一度の大勝負」は終わった。泣き出しそうな顔をした渡辺を前に、羽生は「チャンスがある将棋を勝ち切れなかったのでやむをえない」と、報道陣に向けて淡々と語った。

【次ページ】 (7)「羽生の首ががくりと落ちた」27年ぶり無冠に【2018年】

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