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“藤井聡太の大逆転”で思い出す 将棋史に残る伝説の逆転劇<7選>「羽生善治対渡辺明、100年に1度の大勝負も」
posted2021/02/17 17:01
text by
相崎修司Shuji Sagasaki
photograph by
Takuya Sugiyama
第14回朝日杯将棋オープン戦は藤井聡太王位・棋聖が2年ぶり3度目の優勝を果たした。棋士デビューから4回参加して3回の優勝という実績には言葉もない。
今回の朝日杯は藤井の逆転劇が話題となった。準決勝の対渡辺明名人戦、決勝の対三浦弘行九段戦と、いずれも将棋ソフトが示す勝率では9割以上負けと判定された局面からの逆転勝ちだった。もっとも、将棋ソフトの示す評価値や勝率が人間的に100%受け入れられるかというと、必ずしもそうとは言えない。例えば最終盤において勝率99%という数字が出ても、一手間違えれば1%までに転落するのが将棋という競技の性質だからである。そして疲労が蓄積しているであろう最終盤において、常に正着を指し続けるというのはトップクラスの棋士にも簡単ではないことなのだ。
将棋は「逆転のゲーム」と言われている。これまでの長い将棋史において、どのような逆転劇が起こってきたか、見ていこう。
(1)「私の運命の針を狂わせた」高野山の決戦【1948年】
将棋界でもっとも有名な逆転劇が「高野山の決戦」と呼ばれている升田幸三実力制第四代名人と大山康晴十五世名人の勝負であろう。1948年3月、時の塚田正夫名人に対する名人挑戦者決定戦、升田―大山戦が和歌山県の高野山で行われた。升田と大山は木見金治郎九段門下の兄弟弟子であるが、5歳年長ということもあり、升田のほうが実力が上と見られていた。他ならぬ大山自身もそう思っていたと自著で触れている。
升田必勝で迎えた最終盤。大山の王手に対して逃げ間違えて玉を詰まされてしまった。逃げ間違えた直後の王手を見て「ああ、これまで。錯覚いけない、よく見るよろし」と升田は投了を告げた。おどけた口調の「錯覚いけない、よく見るよろし」は香具師の口真似だったと升田は自伝で振り返っている。
「世にいう『高野山の決戦』は、私の運命の針を狂わせた、忘れようとて忘れられぬ戦いでした」
もっとも、この勝利で名人挑戦権を獲得した大山が即、名人になった訳ではない。それでも大山はこの一戦について以下のように回顧している。
「それにしても、つくづく思われるのは、この高野山の一戦が私と升田さんの棋士としての将来を分けたのではないか、ということである。いや、単に升田さんと私だけでなく、プロ将棋界のその後のゆくえを分けてしまったようにも考えられる」
大山が名人に就いたのは高野山の決戦から4年後のことであり、それからは20年にわたる自身の黄金時代を築き上げた。