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ハンク・アーロンと並外れた自制心。レイシズムに苦しみながらも不正を働かなかった大打者 

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芝山幹郎

芝山幹郎Mikio Shibayama

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posted2021/01/30 06:00

ハンク・アーロンと並外れた自制心。レイシズムに苦しみながらも不正を働かなかった大打者<Number Web> photograph by Getty Images

715号を放ち母親に抱きしめられるアーロン。舞台となったアトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアムの跡地には、当時の落下点が印されている

 実働23年間で、本塁打王4回、打点王4回、首位打者2回。通算安打数も3771本に達したが、さらに注目すべきは、リーグ最多塁打数を8度も記録していることではないか。通算総塁打数(6856)はもちろん史上最多。2位のスタン・ミュージアル(6134)に720以上の差をつけているのは圧巻だ。塁間90フィート(27.43メートル)で換算すると、両者の間には20キロ近い差がある。

 そんな大打者アーロンも、レイシズムにはほとほと苦しめられている。1973年シーズンの終了時、彼の通算本塁打数は713本に達していた。ベーブ・ルースが打ち立てた大記録(通算714本塁打)までは、あとひと息だ。

 そのときから、人種差別主義者や白人至上主義者による嫌がらせと脅迫に拍車がかかった。当人に対する殺害予告のみならず、当時大学生だった娘のゲイルを誘拐するぞという卑劣な脅迫も重なったのだ。

 新記録が達成された74年4月8日、ゲイルは球場に出かけず、FBI職員に護衛されながら自宅でテレビを見ていた。アーロンが記念すべき715号を放った瞬間は、父の暗殺を危惧して身のすくむ思いだったという。

記念すべきホームランを放った息子にしがみついた母親

 あのときの映像には、フィールドへ飛び出してきた白人の若者ふたりが、二塁をまわったアーロンの肩を叩きながら並走する姿が映っている。一瞬ひやりとする光景だったが、幸い彼らは暗殺者ではなかった。 それでも、極度にピリピリした空気は映像に漂っている。ホームインしたアーロンにバックネット前で母親がしがみつき、いつまでも離れようとしない映像も異様な感じを与える。昔見たときは、喜びと感激がよほど大きかったのだろうと思っていたが、のちに伝え聞くところによると、母親は「息子の弾よけになるつもりだった」らしい。

 アーロン自身も、このときの恐怖には長くつきまとわれたようだ。球場への出入りには秘密の裏口を使った。ボディガードを連れずに外出することはなかったし、レストランでは、扉に背を向けて坐らなかった。席を離れたときに残したコップの水には二度と口をつけなかったし、ホテルへチェックインするときも、母の旧姓やアシスタントの苗字を使ったといわれる。

 それほど神経を尖らせた生活を送っていたにもかかわらず、アーロンは「温厚で礼儀正しい人柄」を敬愛された。もともとの性質もあるだろうが、自制心も並外れて強かったにちがいない。

 アーロンのバッティングは、「洞察力と技術」をともに感じさせるものだった。「優雅で正直」というイメージも、終生ついてまわった。ステロイドにもパインタール(松脂)バットにも、彼は一度も手を染めなかった。「不正を働かずに史上最多の本塁打を放った選手」という称号は、まだまだ不滅だろう。

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